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2010年1月29日 (金)

フィルムセンターでドキュメンタリーを観る

 京橋にある東京国立近代美術館フィルムセンターで映画を観た。フィルムセンターに行ったのは学生のときだから、はや30数年。当時は名画座などでもっぱら古い映画は観ていたのだが、それでも契約期限が切れて日本では上映できなくなった作品や、契約がなくて上映できない作品などを、フィルムセンターでは特集上映などの形で観ることができた。フランス語字幕のチェコ映画など、どうやって台詞を理解していたのか、今考えると良く分からないが、当時はそれでもストーリーは理解して観ていたのだから、不思議なものだ。

 で、今回みた映画は「川喜多賞授賞監督作品選集」という131日までやっている特集上映で羽田澄子さんの作品『早池峰の賦』(1982/自由工房)である。早池峰山の麓にある大迫町(現在は花巻市)の一年を、早池峰神楽を軸に追いかけた3時間8分の長編ドキュメンタリーだ。

 昔、人と馬が同じ屋根の下で生活していた、いわゆる「南部の曲がり家」の解体シーンに始まり、葬儀のシーン、そして早池峰神楽の様々な踊り、早池峰神社のお祭り、タバコの栽培、神楽の「門打ち」などの出張演技、稽古、「権現様」という獅子頭の話やその製作風景などなど、それぞれのシーンを、実にゆったりとしたカッティングで見せていく。元々は大迫町との約束で60分程度の長さで製作されたものだそうだが、ディレクターズカット版とも言うべきこの作品は、とにかく神楽をタップリ見せたいという意図からだろうか、現在のテレビドキュメンタリーなどでは見られない、ひとつひとつのカットの尺の長さが特徴だ。それでこその3時間なのだが、神楽に見とれている我々にはその「長さ」は感じられない。

 また、この作品を観ていて、いくつか分かったことがある。

 ひとつは、こうした神楽舞や鹿踊り(ししおどり/権現様の舞)は門付け芸であるということだ。これは、昨年「遠野祭り」に行った際に、鹿踊りを見ていて考えたことなのだけれども、現在の江戸の獅子舞の原点のような鹿踊りを見て、また祭りが始まる前に電気店の前で踊りを見せていたやり方をみていると、どう考えてもそれはいわゆる「門付け芸」であり、つまり踊りを見せてご馳走あるいは金品をいただくというやり方なのであった。映画では「門打ち」という言い方をしていたが、それは我々の言う「門付け」である。踊りを見せて、その後、その家で食事をご馳走になるという。金品のやりとりもあるかもしれない。その実際を、この映画は見せてくれる。

 さらに、それらの門付け芸は、米があまり収穫できなく貧しかった南部地方では、冬の間の「出稼ぎ」労働だったということである。勿論、おおもとは早池峰神社の神事だったのであろう。しかし、その芸は、たいして娯楽のなかった時代には大変面白い芸であったろうし、金品を支払うには充分な楽しみだったのだろう。そこで、夏は神事として行われた神楽を、冬は雪山を越えて町まで行って門付けをして回ったのである。

『早池峰の賦』はこうした、昨年行った遠野祭りでの疑問に答えてくれた作品であった。

 まだ、「鹿踊り」と「獅子舞」の関係は判らないのだが。

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