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2010年1月10日 (日)

ロスジェネはまだ甘い?

「蟹工船」ブームの仕掛け人、朝日新聞の鈴木英生氏の書いた『新左翼とロスジェネ』(集英社新書/20094月刊)という本を読んだ。自ら「ロスト・ジェネレーション世代」という鈴木氏の年齢から考えれば」、よく書いた本であるとも言えるかも知れないが、全体的には鈴木氏の持つロマンチシズムに満ちた本である。

 基本的には、戦後の新左翼文学(評論や手記、回想録、声明なども含む)、つまり新左翼の周辺に(あるいは渦中に)いた人々によって書かれた本を題材として、主に1955年、日本共産党の六全協から生まれた、いわゆる「新左翼」による運動にいた人たちを、彼らの「自分探し」の旅として位置づけ、概説したものである。

 しかし、私自身、しかし学生でなく高校生として、その渦中にいた人間からすると、鈴木さん、あなたそれはあまりにも優しい見方だよ、ということになってしまうのだ。

 たとえば、2005年に成田空港管制塔占拠の元被告16人に、国と空港公団が強制執行を始めた損害賠償金額1億300万円に対し、党派のOBがインターネットでカンパを呼び掛けたところ、賠償金額を超える115214907円が集まったという話。鈴木氏はこれを「日本の正面玄関を破壊した経験に正当性を認める人が、今も反対運動を続ける人に加えて、さらに一定以上いることを明らかにした」と書く。しかし、そのすぐ後で鈴木氏は書く、「ある会社の管理職。妻が寝た後、いつものように新左翼を懐古するネットのページで、思い出に慰められようとする。そこで、カンパの呼び掛けに行き当たる。普段は飲み代に消える小遣いから5000円ほど、出して見る。彼の日常は、表面的には変わらない。だが、彼自身はそれによって、変わる。肯定的な「自己否定」を、少し遂げる」と。しかし、そんなことで「自己否定」が遂げられるんだろうか? 「ある会社の管理職」は、次の日、成田空港から海外出張に飛び出すのである。そんなのは、単に「運動に余り熱心でなかった自分を贖罪するためだけの行為」でしかない。「自己否定」するなら、自分の過去の行いを反省して、成田から飛ぶのをやめるべきなのだ。

 鈴木氏の基本的な間違いは「新左翼党派による(疑似)革命運動」と、「全共闘(ノンセクト・ラジカル)による学園闘争」を、意識的には違うと分かっていながら、どこかで混同し、等質のものと取り違えているところである。ノンセクト・ラジカルの活動は、どこか「自分探し」と言ってもよい部分があるかもしれないが、党派による運動にはそんなものはない、あるのは「党派による引き回し」と「自派に都合のよい勝手な解釈」だけである。つまり、それは日本共産党と同じ構造。「前衛党」を名乗る以上は、同じ穴の狢なのである。

 ここで、私自身の事を話しておく必要があるだろう。先述した「高校生として、その渦中にいた」という部分を、説明しなければなるまい。

 私は1951年生まれであり、高校の卒業年度は、まさに1970年。1969年の安田講堂攻防戦の際は、駿河台で石を投げていた。つまり、私自身が1960年代最後の時期にいわゆる「高校生運動」に身を投じていたのだ。

 小熊英二氏の大著「1968」(新曜社/20097月刊)の下、第12章「高校闘争」に所収はされていないが、私の卒業した高校でもバリケード封鎖なんてのもあったし、卒業式粉砕の計画もあった。しかし、バリ封を行った連中は、実はそれまで私のオルグにも言を左右して街頭闘争に参加していなかった連中で、何を思ったか突然「バリ封をやる」なんて言い出したのだ。時期尚早を言いだした私はまさに「反革命」の立場になってしまった訳だ。

結局、バリ封は実施され、その後は処分反対(まだ処分は出されていないので)闘争に忙しくなってしまったのだった。彼らが言った要求は「制服反対」って言うくだらないもので、でも、私たちが卒業して2年後には都立高校の大半は制服廃止になってしまい、まあ、実現可能な簡単なものから、要求は呑まれていくんだな、ということが分かったのである。

 本来我々が言っていたスローガンは「後期中等教育の帝国主義的再編粉砕」であり、つまりそれは、本音としては東京都教育委員長だった小尾乕雄による学校群制度廃止であった(前者と後者は全く違うんだけどね)。まあ、ついでにベトナム戦争反対とか、沖縄返還阻止とかとうのもあったが。

 こうした闘いに関して○○高校全共闘を名乗った我々は、反帝高評(社青同解放派=反帝学評の高校生組織)のオルグはあったが、基本的にはノンセクト・ラジカルの立場を守りつつ、街頭闘争をやっていたのだ。そこはノンセクト・ラジカルの楽チンな立場であるから、べ平連なんかとも共闘を組めたし、まあ、とにかく自分の好きな、行きたい闘争だけ選んで行っていたというようなものである。もちろん、高校に戻ってくれば、民青のバカとの論争もあるし、お勉強もあるし、という毎日だったのである。

 そこで分かった大事なことは「この国では、しばらくは革命は起きない」ということであり、「学生運動は(高校生も含めて)、絶対勝利しない」ということである。つまり、日本は1900年のロシアではないということだ。

 という状況の中で、「大学に入る」ということは何なのだ。つまり、それは「今の体制を受け入れる」ということに他ならないじゃないか。「大学解体」は実現していないし、「全共闘の闘い」というのももうないし。

 ということで、私は大学に行ってからは一切の学生運動には関わらずに、映画評論などの文筆活動にその場を移動したのである。

 そういう高校生時代、大学生時代を送った身にとっては、大学生になってはじめて学生運動に目覚めたという連中が信じられないのだ。

 そういう連中にとって、気分で参加できる「全共闘=ノンセクト・ラジカル」は格好のお遊びアイテムなのだったのだろう。新左翼党派は結構シバリがキツいし、所詮、下っ端は使いまわしだし、というところで、地方で(地方じゃないやつもいっぱいいるのが不満ですが)ごく牧歌的な生活を送ってきた(と信じましょう)高校生が、大学に入って初めて社会の不公正とかに気がついて、全共闘活動を初めたというのが、大学全共闘の大半のスタートじゃないかと考えている。

 はいった大学では、既に大学の側から「大学解体」は行われているし、「産学協同」なんてものは、「大学と社会とのつながり」ということで当たり前になっているのであります。

 

 最後に、東大の安田講堂攻防戦で逮捕されたのが、400人で内東大生は70人ということが本書には書かれているが、それは、解説するとこういうことになる。

 つまり、東大全共闘(まあ、とりあえずノンセクト・ラジカルとしておこう)にとっては、安田講堂なんてものはシンボルでもなんでもないわけで、というかシンボル的なものを否定するのが東大闘争(?)のはず。しかし、新左翼セクトは「闘いのシンボル」が欲しい。特に「負け試合」と分かっている場合は、というところで安田講堂を選んだのだろう。したがって、安田講堂で逮捕された連中は、ほとんどがセクトの人間であるはずだ。ということで、東大生が少ない理由にはなっていると思う。まあ、東大の頭の良いオボッチャンたちが逃げちゃった、という解釈も成り立つけどね。

 しかし、セクトにしてみれば、「最後まで安田講堂を守ったのは我がセクトだ」と言って、自己主張するんでしょう。でも、それじゃあ安田講堂の権威を守ったのと同じじゃん。

 ということ。

 私なんかは、「大地の牙」まで突き詰めていった連中とか、赤軍派に高校生や中学生で参加した人たちにシンパシーを覚えてしまうのだが、どう考えても、中核・青解・革マルにはあまりシンパシーを覚えないのだ。ブントと第4インターはちょっと違うけど・・・。

 まあ、革マルについては、その組織防衛の方法論については、なるほどなと思える部分もあるけど・・・。

 まあ、鈴木氏も、あまり新左翼を重要視しない方がよいのではないでしょうか。

 たいしたものじゃないんだよ。

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