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2010年1月

2010年1月31日 (日)

東京散歩カメラ3

 今日は錦糸町から業平橋、大川端へと東京スカイツリーを撮影しながら、散歩カメラ。PENTAX 6X7+SMCPENTAX 55mm+トライX。

 要は墨田区をテクテク、カメラはパッタンパッタン、ミラーの音を立てながらの撮影である。ペンタックス6X7のミラーの音のでかいことでかいこと。スカイツリーに近づいてみると、業平橋駅脇の建設現場は既に観光名所になっていて、カメラおじさんがいっぱい、屋台はまだ出ていないが、出ていてもおかしくないほどの賑わいである。もうすぐ出そう。

 今日のスカイツリーは181mとのことで、634mの完成まではまだまだ時間がかかりそうだ。とはいうものの、東京タワーの時に比べればずっと早い。また、建築のことはよくわからないが、外側のタワーの骨組み部分と、内側のエレベーターが入る部分(だと思う)を同時に作り上げている。まず、外側の骨組みを一番上まで先に作って、それから内側の部分を作るのかと思っていたのだが、今は、そうではないようだ。横十間川は少し流れを変えられていて、スカイツリーの部分を迂回する形になっている。

 業平橋からは東武線を入れ込みながらの撮影。業平橋と浅草の間はとても速度が遅いので撮影はしやすい。言問橋から最後はアサヒビールのうんこビルを入れたスカイツリーで終了。

 しかし、今朝の朝日新聞に、浅草寺の雷門前にある浅草文化観光センターを8階建て(約40メートル)に建て直す計画に対して、浅草寺が反対しているという記事が出ていた。浅草寺や雷門などを観光振興の目玉だと言いながら、そのすぐそばに、浅草寺や雷門の存在感を薄れさせる建物を作るとは何事だ、というわけである。浅草寺は同じ理由で、寺の西約400メートルに建設中の超高層マンション(高さ約130メートル)に対しても建設許可の取り消しを求める訴訟を起こしている。

 まあ、そのことはどうでもよいのだが、その記事に出ている浅草寺周辺の見取り図を見て驚いた。要は、馬道通り、言問通り、国際通り、雷門通りに囲まれた四角い土地の約7割、つまり、浅草寺のある部分は馬道通りから国際通りまでのほとんどすべてが浅草寺の所有地なのだ。2か所だけ、JRAの場外馬券売り場がある建物と、楽天地の建物だけが、部分的によその土地なのだが、それ以外の浅草六区あたりの土地のすべてが浅草寺の持ちモノなのだという。う~ん。恐るべし宗教法人。

2010年1月30日 (土)

カラシニコフを考える、大量死の実現という思想

『機関銃の社会史』について書いた際に(1/21「武器と戦争と・・・あと何があるの」)、スミソニアン協会の銃器研究家、エドワード・エゼルが同書の文献補遺に「この製造能力と開発能力がもたらした帰結の一つは、カラシニコフの武器がほとんどあらゆる場所に見られるようになったことである。最初に述べたように、少なくとも55カ国がAK47、AKM、およびカラシニコフ機関銃を正規の装備として使っている。これらの武器はレバノンやアフガニスタンの幼い子供の手に握られているのが見られる。それは、インドシナから、中央アメリカ、アフリカまで、政府軍兵士や反政府軍兵士によって使用されている。(中略)ロシア人の姿など一度も見たことのない辺境の地で、AK47かAKMを装備した男や女は、ロシア人が信頼できるすぐれた武器をつくることを知っている。(中略)アメリカ人はコーラを輸出し、日本人はソニーを、ソ連人はカラシニコフを輸出する」と書いたことから、カラシニコフについて考えるようになったのである。

 テキストは『カラシニコフ自伝』(エレナ・ジョリー著/山本知子訳/朝日新書/2008年4月刊)と『カラシニコフⅠ』『カラシニコフⅡ』(松本仁一/朝日文庫/2008年7月刊)。そういえば、『カラシノコフ』の方は朝日新聞で連載していた時に、しばしば読んでいたのを思い出す。

 カラシニコフ、というよりAK47と言えば、ベトナム戦争で北ベトナム軍と南ベトナム解放戦線の主要な武器として、アメリカ軍のM16と戦い、そして勝利した銃として有名である。まさにAK47は反帝国主義、反植民地主義、そして社会主義革命の象徴的な存在だったのである。

 もうちょっと言えば、AK47はスターリン主義の銃であるということなのだが、これは今回のテーマとちょっとズレるので、いずれまた。

 この、世界で一億丁を超えるといわれる歴史的に最も成功した銃は、しかし、その大半は開発国であるソ連・ロシア以外の地域で生産されたものだ。1947年に発表されたAK47はその後、ワルシャワ条約加盟国やその他の共産圏の国々にライセンスされ、それらの国々で生産された。ソ連崩壊後、つまりワルシャワ条約自体がなくなった後にも、ライセンス契約がないにも関わらず、中国では生産され続け、またパキスタンなどでは引き続き密造されている。なぜそうなのか、あるいはいまだに需要はあるのか、については『カラニシコフⅠ・Ⅱ』に詳しい。

 カラシニコフがAK47を開発した理由はたったひとつ「ナチス・ドイツから我が国を守るための武器を作りたい」というものであった。しかし、現在AK47、AKM、AK74はその発明者の意図を超えて、反帝国主義、反植民地主義などの「抵抗の武器」から、アラブ過激派・原理主義者の象徴的な意匠となってしまった。勿論、それは武器を使うものの責任であり、武器の発明者の責任ではない。「武器は思想を持たない」とは言うものの、やはり成功しすぎた武器の発明者には「テロリストの武器を開発した気分はどうか」といった無責任な質問が発せられるようだ。これは、成功しすぎた銃の発明者としては、仕方のないことなのかもしれない。

 むしろ、考えたいのは「武器は思想を持たない」「思想を持つのは武器を持つ者だ」ということについてである。本当にそうだろうか? かつてない大量に生産された銃は、かつてない大量に死者を製造した銃である。ベトナム戦争では大量のアメリカ兵や南ベトナム兵を、アラブではイスラエル兵を、アフガニスタンでは皮肉なことにソ連兵(!)を、そして世界のあらゆる場所で同じ国の国民を、死に追いやっている。そのための武器である。いっぺんに大量の死を奪い去る核兵器の思想とは違うが、やはり核兵器に匹敵する量の死を奪い去ったAK47。いまやライセンス生産されたAK47と密造されたAK47同士の殺し合いが普通になっている。これは既に思想ではないのか? つまり「大量死の実現」という思想。

 一方、我が国の自衛隊の武器、62式自動小銃や89式自動小銃などのように、多分、生産されてからただの一人も人を殺していない銃もある。つまり、実戦に一度も参加していないからね。これはこれで思想なのだ。人を絶対に殺さない兵器という矛盾した思想。

 どちらが良いのか? それはそれで難しい問題である。

2010年1月29日 (金)

フィルムセンターでドキュメンタリーを観る

 京橋にある東京国立近代美術館フィルムセンターで映画を観た。フィルムセンターに行ったのは学生のときだから、はや30数年。当時は名画座などでもっぱら古い映画は観ていたのだが、それでも契約期限が切れて日本では上映できなくなった作品や、契約がなくて上映できない作品などを、フィルムセンターでは特集上映などの形で観ることができた。フランス語字幕のチェコ映画など、どうやって台詞を理解していたのか、今考えると良く分からないが、当時はそれでもストーリーは理解して観ていたのだから、不思議なものだ。

 で、今回みた映画は「川喜多賞授賞監督作品選集」という131日までやっている特集上映で羽田澄子さんの作品『早池峰の賦』(1982/自由工房)である。早池峰山の麓にある大迫町(現在は花巻市)の一年を、早池峰神楽を軸に追いかけた3時間8分の長編ドキュメンタリーだ。

 昔、人と馬が同じ屋根の下で生活していた、いわゆる「南部の曲がり家」の解体シーンに始まり、葬儀のシーン、そして早池峰神楽の様々な踊り、早池峰神社のお祭り、タバコの栽培、神楽の「門打ち」などの出張演技、稽古、「権現様」という獅子頭の話やその製作風景などなど、それぞれのシーンを、実にゆったりとしたカッティングで見せていく。元々は大迫町との約束で60分程度の長さで製作されたものだそうだが、ディレクターズカット版とも言うべきこの作品は、とにかく神楽をタップリ見せたいという意図からだろうか、現在のテレビドキュメンタリーなどでは見られない、ひとつひとつのカットの尺の長さが特徴だ。それでこその3時間なのだが、神楽に見とれている我々にはその「長さ」は感じられない。

 また、この作品を観ていて、いくつか分かったことがある。

 ひとつは、こうした神楽舞や鹿踊り(ししおどり/権現様の舞)は門付け芸であるということだ。これは、昨年「遠野祭り」に行った際に、鹿踊りを見ていて考えたことなのだけれども、現在の江戸の獅子舞の原点のような鹿踊りを見て、また祭りが始まる前に電気店の前で踊りを見せていたやり方をみていると、どう考えてもそれはいわゆる「門付け芸」であり、つまり踊りを見せてご馳走あるいは金品をいただくというやり方なのであった。映画では「門打ち」という言い方をしていたが、それは我々の言う「門付け」である。踊りを見せて、その後、その家で食事をご馳走になるという。金品のやりとりもあるかもしれない。その実際を、この映画は見せてくれる。

 さらに、それらの門付け芸は、米があまり収穫できなく貧しかった南部地方では、冬の間の「出稼ぎ」労働だったということである。勿論、おおもとは早池峰神社の神事だったのであろう。しかし、その芸は、たいして娯楽のなかった時代には大変面白い芸であったろうし、金品を支払うには充分な楽しみだったのだろう。そこで、夏は神事として行われた神楽を、冬は雪山を越えて町まで行って門付けをして回ったのである。

『早池峰の賦』はこうした、昨年行った遠野祭りでの疑問に答えてくれた作品であった。

 まだ、「鹿踊り」と「獅子舞」の関係は判らないのだが。

2010年1月27日 (水)

男と女の関係って・・・結局見えないところに進むもの

 男と女の結婚関係って何なんだろう。ひとつには子供を作って家系を残すというような、歴史的な(上ー下)関係論がひとつあるんだろけども、もうひとつは純粋なといっても言いのだろうか、要するに単純にこの女(男)と一緒の家庭を作りたいと思う(右ー左)、というのもあるのではないだろうか。その場合は、「結婚」という形式はなくてもいいんだろうけど。子供は、その結果でしかないというような。

 ということを考えさせる契機になるのがこの作品『100万分の1の恋人』(新潮社/2007年1月刊/1300円+税)である。

 主人公の「僕」は恋人の「ミサキ」と幼稚園からの関係の中で将来を考えるところまで行ったのだが、ある日そのミサキから遺伝性の病気にかかっている可能性があることを告げられ、ミサキ自身が将来的にその病に侵されてしまう可能性、そして彼らの子供もその病の可能性もあるということに、悩む。でも、でも「僕」は最後には・・・という話。

 純愛小説のジャンルに入るのかもしれない。しかし、基本的には、男と女の関係論なんてものは「要は、男と女って、所詮相手のことはよく分からずに、でも、出会った時の印象でくっついて、結果として子供も作るかもしれん、何をするかもしれん・・・」というところで一緒(カップル)になって、その結果に責任を負わざるを得なくなって、一生を終えるものなのだ。ということは、この作品の主人公も、相手が遺伝性の病気にかかっていても、その娘と結婚して、その後、子供が出来てどうするかということはわからないけども、とりあえず一緒になるんだろう、といことでメデタシメデタシ、という結末はわかっているんだけどね。

 むしろ、その後が気になる。

 まあ、それは小説の読み方ではない。この、ストーリーの中でどう読むか、ということで言えば、相手が遺伝性の病気であろうが基本的には「純愛」を貫いた主人公は偉い、ということなのだろう。ハンチントン病という耳慣れない病気にスポットを当てた点はさすがだと思うが、それ以外は、実に見事な「純愛」小説なのだ。おまけに「僕」と「ミサキ」は幼稚園からの愛情関係があるなんて・・・。スゴイ。

 というとこで、こうした「純愛」小説が好きな人には、オススメの作品です。

 ただし、新潮エンターテインメント大賞新人賞って、新潮社とフジテレビが出資している賞らしい。ということは本来ならば、映像化(TVあるいは映画)されてもいい筈の小説だが、この作品の場合、上記のハンチントン病にまつわる差別問題なんかもありそうで、フジテレビあたりは避けそうな感じですね。

 だから、小説で読め。特に○成生は。

 

2010年1月24日 (日)

東京散歩カメラ2

2010_01_24_011edited

(C)tsunoken

 今日はカミさんの買い物に付き合って、谷中のよみせ通りと谷中銀座、それに十条銀座通りを散歩カメラ。EPSON RD1s+Color Scoper 21mm。

 谷中銀座から日暮里駅へ抜ける階段の日暮里駅に向かって左側は以前は空き地で、野良猫がいっぱいいた。場所が場所だけに実に人慣れしている野良猫たちで、人間が近づいても逃げない。といって、人間に寄ってくるわけでもないところが、いかにも猫らしいところだ。人が手を出そうとすると面倒くさそうに少しだけ逃げる。そして少し経つとまた元に戻ってくるのだ。

 しかし、その空き地もいまやマンションが建ってしまい、猫の姿は見えない。反対側の古い家がある方を探しても見えない。あの、猫たちはどこへ行ってしまったのだろう。まあ、空き地も少なくなって、猫にも住みにくい街になっていくのだなあ。

 谷中銀座は今日は観光客用の店ばかりが開いていて、日常の買い物をするための総菜屋のようなものはお休みである。むしろ十条銀座の方が日用品や総菜なども売っていて、普段の日と変わりないようだ。しかし、十条銀座は衣料品の店が多い。普通、こうした商店街はまず総菜屋や八百屋、魚屋、肉屋などの食料品の店が多いのだが、十条銀座はむしろ女性向けの衣料品と煎餅屋が多いのは不思議な雰囲気だ。

 各商店街もいろいろ異なった特徴がある。

 

2010年1月23日 (土)

鷹の爪を煎じて飲むと?

 昨日「ちょーくだらないアニメ」と書いた『秘密結社 鷹の爪』が現在東宝シネマで公開されている。題して『秘密結社 鷹の爪 THE MOVIE 3 http://鷹の爪.jpは永遠に』という、前作『秘密結社 鷹の爪 THE MOVIE 2 私を愛した黒烏龍茶』に引き続き見もフタもないタイトルである。

 蛙男商会がごく小人数で作ったFLASHアニメーションなので、ほとんど口パクだけの動きしかない。本当はFLASHだってもう少しは動かせるのだけれども、まあ、このほとんど動かさないバカバカしさが面白いのだろう。これもネタの一つである「バジェットゲージシステム」も健在だし、「プロダクトプレイスメント」や、前作で使った「ネーミングライツ」も相変わらずである。「目覚ましたいむ」や「あらスジタイム」などが新しく加わって、これは実はブレヒトの言う「異化効果」なのだけれど、蛙男商会は多分そんなことは知らずに使っているのだろう。この作品自体がゴダールもびっくりの異化効果たっぷりの作品なのだが、その最たるものが最後に出てくる、白組製作の3DCG映像「博士の動く城」なのだ。本来は観る者を自然に映像に入りこませるための3DCGの筈が、それまでのFLASHアニメが普通の映像である作品であると、逆にこの3DCGの方が「違って」見えるのである。

 製作費的にもこの安手の作品のかなりな部分をしめているであろう3DCGの効果は、なかなか大きいものがある。

 今回はアメリカのオババ大統領が突然の核放棄宣言をすることから話が始まり、「おお、こりゃ大きく出たな」と思わせておいて、まあ、いつもの展開かなと予想するのだが、以外にこの部分は真面目に作っている。いつもの鷹の爪と違うんじゃないの。ということは、その後のお話の展開はまあ予想通り。あまり破綻のない展開になってしまっている。

 そして最後が「博士の動く城」であっては、ちょっと予定調和? 鷹の爪ファンには少し不満が出るかもしれない。

 最後に「ちょーくだらないアニメ」という言い方は、ホメ言葉なんだけどね。

2010年1月22日 (金)

国家のブランド

 八王子みなみ野にある東京工科大学で『アジア人財資金構想事業 公開講座「SiggraphAsia 2009における本学の取り組み/アジア留学生が見た日本企業」』という、公開講座を見に行った。もともとは、この学校のメディア学部教授の金子満氏が昔やっていたコンピュータ・アニメの会社に関係していた縁で、以前、別のセミナーに招かれてからの付き合いで、ここの学校との関係が始まったのである。

 東京工科大学自体は東京工学院という専門学校が母体で作られた大学で、片柳学園という学校法人が経営している。経営している片柳氏という人が、どうやらすごいお金持ちらしくて、ここの大学の設備もすごいことになっている。勿論、ハイビジョンの撮影スタジオなんて当たり前だし、モーションキャプチャーの専用スタジオなんかもあって、それらのスタジオはプロのTV局やゲームメーカーも使用しているくらい。

 大学そのものの入学の為の偏差値はあまり高くないかもしれないが、入ってみてその教育環境はすごいものがあって、なかなか侮れないものがあるのではないか。USC(南カリフォルニア大学)という、あの、ジョージ・ルーカスやスティーブン・スプルバーグがでた大学と共同研究をやったり、それはまさに金子氏のコネクションなんだろうけど、ハリウッドとも直結している事業を行っている大学なのだ。

 その大学で、経産省と協働でアジア人の為の人材育成事業を行っていて、そのひとつの発表が今日あったというわけなのだ。 

 前半は昨年横浜で行われたSiggraph Asia 2009での東京工科大学のプレゼンテーションの話なのだが、後半はそのアジア人のための人材育成事業という点での、実際のアジア人留学生によるプレゼンテーションがあり、それが面白かった。

 特に、面白かったのは『鷹の爪軍団』という「ちょーくだらないアニメ」で有名なDLEという会社でインターンを経験した、アイシャ・オニズカワキさんというマレーシア人とリュウ・ミャオミャオさんという中国人の話であった。勿論、「ちょーくだらないアニメ」を作っていても、会社としては「ちょーまじめ」な会社であるわけだし、その辺が「ほう」という感じもあったし、二人の体験はそこそこ普通の会社での経験と変わりはないだろう。二人とも会社からテーマを与えられてそれぞれにレポートを出していた。基本的にはそれぞれの国・地域の市場調査をベースにその国・地域でどんなDLEの商品を提供する企画を出せるかというテーマである。

 まあ、基本的には「学生さんの出すレポート」であるから、それはそれで割り引きして聞いてるのだが、問題は彼女らが日本での就職を希望しているということなのである。マレーシアに帰ればかなり上級の仕事につける可能性のあるアイシャさんも、やはり日本での就職を希望しているらしいし、「自分のやりたい仕事につけるのはMITとかスタンフォード大学などを出た人だけ」という変な社会主義国家の中国にいるリュウ・ミャオミャオさんも勿論日本での就職を希望しているそうだ。

 そんなに日本という国に魅力があるのか、と我々なんかは考えてしまう。GDPではもう来年には中国に抜かれてしまい、その他の部分でももはやアジアの二等国になってしまう日本にそんな魅力があるのか、と考えてしまうのだけれども、まだまだ、日本の魅力はあるのかな。

 まあ、もう既にヨーロッパの一等国から降りてしまったスペインやらポルトガルだって日本から見ればまだまだブランドだしな。そうか、別にGDPやら、株価やら、そんなもので世界第一位にならなくったって、別に国がブランドになる方法はあるんだ。いわゆる「旧宗主国」ってやつですね。まあ、植民地は朝鮮と台湾くらいしか持っていなかった日本は、あまりそうした「旧宗主国」的なものはないけれども、結構「経済侵略」はいっぱいしている国だから、そういう経済侵略の部分での(つまり、政治的・宗教的には侵略していない)「宗主国」的なものはあるのかもしれない。

 でも、経済侵略は実は「政治侵略」でもあるんだけどね。

 ということで、「国家」の「ブランド」ということを考えてしまった今日であります。

 

 

2010年1月21日 (木)

武器と戦争と・・・あとは何があるの?

 戦争とは、結局人と人との殺し合いなんんだな、というのが最初の感想。確かに「戦争は高度の政治局面」であることは認めるが、それはあくまでも戦争をマクロ的な視点から見た結果でしかなく、ミクロ的には結局「殺し合い」でしかないのだ。

 しかし、その「殺し合い」にも、昔は「英雄的な決闘」という範疇があって、それは殺されても無駄死にではなく、「英雄的な死」というものであって、それは殺した方、死んだ方、双方にとって「英雄的な行い」の中の出来事なのだった。そんなこと言ったって、死んじまったものは、死んじまったんだよな、という庶民の発想は許されない。昔は「英雄的な死」と「無駄死に」とには、はっきりとした分裂があったのだ。

 したがって、1862年、ガトリングが「機関銃」というものを発明した時、それは「英雄的な死」を否定するものとして、主に西欧貴族社会から退けられたというのはよくわかる。とにかく、機関銃は「人を殺す機械」として実に優れたものであったわけなのだ。それは、人の死について英雄的であるかどうかにかかわらず、単純に「死」をもたらした。それが、発明から長らく機関銃を採用する軍隊が少なかった理由だというのが筆者の説である。

『機関銃の社会史』(ジョン・エリス著/越智道雄訳/平凡社ライブラリー/2008年刊/1400円+税)の話をしています。

 たしかに、戦争が単なる「人殺し」ではない状況が、第一次世界大戦の前まではあったのかもしれない。ただし、それは貴族の間だけであって、庶民(そのほとんどが労働者や農民だったのだが)にとっては、単なる「人殺し」でしかなかったのだが。戦争の全体状況を決めるのは、双方の「死者の数」ではなくて、その先頭に立った指導者(要は「お殿様」)による勝ち負けの決めなのだったのだろう。

 しかし、その後の戦争は結局どちらの国(軍)がどちらの国(軍と国民)の人間を沢山殺したのかというのが、戦争の勝負を決しているのではないか。ベトナム戦争のような「限定戦争」の場合も、結局はベトナム人民が殺したアメリカ人の数が多かったが為に、アメリカは戦争をやめざるを得なかったのである。

 しかし、所詮は武器。「人殺しの材料」に過ぎない。そこでいつも言われる「自分の武器が強いる莫大な損傷に人々が気づいたときに、戦争は阻止されるだろう」という超楽観論がその後も続けられ、「第二次世界大戦に入ってからは、同じような論理で絨毯爆撃、ついには核爆弾の登場となる」という。要は「最終兵器がこっちにあるんだから、おまえはだまって降伏しなさい」もしかして降伏しなかったら「最終兵器」をだしちゃうよ(という脅しだけが通じる)。という、発想でしかない。まあ、アメリカは日本で二回実験してるしね。

 キリスト教の発想からすれば、ハルマゲドンがあるわけだから、それがいつきてもいいわけで、ということは、世界核攻撃ということも、ないわけじゃない。しかし、世界はキリスト教徒ばっかりじゃあないのだから、キリスト教徒の教義だけで動いちゃいけないのである。しかし、キリスト教徒ってのはどうしようもないのかね。もう、勝手にハルマゲドンに向かって動いているよう。

 ま、それはそれとして。こうした「軍事のことに対して、社会面から活写した記述」というのはあまり見られない。

 そこだけでもいいのだけれども、とにかく「自分の武器が強いる莫大な損傷に人々が気づいたときに、戦争は阻止されるだろう」という発想がものの見事に覆されている事実に気がつかされている我々自身の問題だ。実は、同じ論理で「これがあることで戦争を早く終わらせ、これ以上の犠牲者を出さないで済む」と言われた原爆(核爆弾)の存在の後に我々が知らされたのは、その後の、戦術核やら劣化ウラン弾のことである。

 これって、「核爆弾」とどう違うの?

 

2010年1月19日 (火)

坂本龍馬と化粧品の接点は?

 六本木、東京ミッドタウンのフジフィルムスクエアで開催されている『写真で辿る「坂本龍馬の生きた時代」』という写真展を見てきた。

「坂本龍馬の写真展」かと思ったのだが、そうではなく、他の幕末に生きた、「坂本龍馬の同時代人の写真展」で、展示されているそれぞれの人の写真も、いずれいろいろなメディアで既に私たちが見ていたものばかり。坂本龍馬の写真も、その他の人の写真も、既にメディアに出ている写真ばかりである。龍馬を撮った上野彦馬のその他の写真や、上野と同時代の写真家の作品もいくつか展示されているが、それも以前、東京都写真美術館で見たことがあるような。

 考えてみれば、写真を撮ること自体が非日常的な時代のことである。写真があること自体が珍しいことなのだから、そんなに写真が残されている筈はないか。

 まあ、そんなところはちょっとガッカリなんだけど、取り敢えず今の「龍馬ブーム」の中の企画なのだからしょうがない。しかし、坂本龍馬と岩崎弥太郎の簡単な歴史をみるのには適当だし、NHKの『龍馬伝』を見る際の一助にはなるかな。

 一緒にNHK『龍馬伝』の展示もやっていて、こちらは福山雅治の持ち道具の展示なんかもやっている。ってことは、フジフィルムってNHKとタイアップでもしているのかな。あるいは、技術協力という名のスポンサーだったりして。

 それはいいとして、福山雅治の坂本龍馬ってカッコ良すぎない? 岩崎弥太郎の汚さもすごいけど。<坂本龍馬=美男・カッコ良い×岩崎弥太郎=ブ男・汚い>という二者対比の中から、いずれ二人が協働して海援隊を動かし、坂本が死んだあとは、岩崎が三菱財閥の大元を作り上げていく、というストーリーなのだそうだけれども。龍馬ってもうちょっとブ男の方が、なんかイメージなんだよね。まあ、<龍馬かぶれ>の武田鉄矢ほどではないけどね。

 会期は2月25日まで。2月6日(土)には『歴ドル美甘子と学ぶ! 「坂本龍馬幕末歴史検定』事前対策講座」というイベントもあるようです。

 龍馬フリークなら一見の価値ありだし、無料展示なので、六本木に行った際には立ち寄ったらいかがでしょうか?

 しかし、いまやフジフィルムって化粧品や美容ドリンクまでやっている会社なんですね。まあ、もはや写真フィルムだけじゃやっていけないことは知ってはいたんだが。そこまでやっていたとは。 

 

2010年1月17日 (日)

死刑囚とのマスタベーション

 死刑囚と終身刑囚の違いについて話を聞いたのはいつ頃のことだろう。要は、死刑囚は死刑執行までの間にとにかく人生を集中して、その間、すごい量の本を読んだり、勿論書く方も書いたり、すごい量の詩を書いたり、まあ、文字系のことが多いんだが、とにかくその集中の仕方は並大抵じゃない、ということだ。一方、終身刑囚の場合は、そんなに集中して何かやることなんか何にもなくて、どっちかというとノンベンダラリンと毎日を過ごしている、ということだ。

 どちらも、自分の人生の終わりまで刑務所(死刑囚の場合は拘置所)で過ごさなければならないという状況は同じなのに、何故、そのように違うのだろう。そこで、言われているのは、とにかく生き永らえている間は無事過ごせるという終身刑囚と、法務大臣の気まぐれで、いつ(明日かもしれないし、10年以上おかれた人もいる)殺されてもおかしくない死刑囚の緊張感の違い。生き永らえながらも、(多分)人間の寿命までは生きられる終身刑囚。いつ、その人生を終えなければならない時期が来るのか、それも近い時期にくるのであろう死刑囚。

 その違いが、死刑囚と終身刑囚の違いだそうだ。

 しかし、この映画は、そんな死刑囚と終身刑囚の違いに関する映画ではない。作品は『真幸くあれば』(御徒町凧監督/高山由紀子脚本)。映画は「死刑囚」と「その死刑囚に婚約者とその不倫相手を殺された女」の間に愛が成立するのか、という問題である。というよりは、愛ができちまった、という問題である。多分、女(原作では榊原茜・映画では川原薫)は、死刑囚(南木野淳=後の川原淳)に会っている間に、相手と自分との距離感のつかみ方がわからなくなってしまい、その死刑囚との恋に陥ってしまったのだ。まだ童貞だった死刑囚。しかし、婚約者の不倫相手を殺した後に、その死体を目の前にマスターベーションをした死刑囚。そして、最後には女(茜・薫)を描きたいという理由で、彼女の裸の写真を要求する死刑囚。

 最後には、「満月の晩」に二人で同じ時間にマスターベーションをすることで、一体感を感じる象徴的なシーンは、まさに美しい。

 とは言うものの、『シナリオ』誌でこのシナリオを読んだ方は、「随分違うな」という印象は待つ筈。出来はどっちが、と言われてしまうと、何とも言えないのだが、出来上がったた映画の方がうまくできてるかな、という感じはある。まあ、話は大体見えているのだから、後は、映像的にどう見せるかという部分が多いのではないか。

 勿論、その為には、しっかりしたシナリオがあってのことだけど。

 ええ、最後に宣伝。原作『真幸くあれば』は講談社文庫(2009年11月刊/¥860+税)から出版されてます。原作を読んで、『シナリオ』の脚本を読んで、そして映画を観ると、この作品を3倍楽しめます。全部、違うからね、でも、話は一緒。ただし、原作は「死刑廃止」に関する記述が多いです。

 死刑廃止ということに関していえば、1989年に国連で「死刑廃止条約」というものが締結されたんだけど、日本は未だにそれを批准していません。2000年後も何度かECUとかなんとかからいろいろ言われてるんだけど、日本の主張は「日本国民は死刑を望んでいる」という「世論」が多いとのことだが、何の世論を言っているのだろうか。

 映画の後は、澁谷から代官山を散歩カメラ、EPSON RD1s+Smicron 35mm。

 代官山の変わり方にはびっくり。

東京散歩カメラ

 このブログのアクセスが1,000を超えました。11月に開設してから約一月半、長かったのか短かったのかは分かりませんが、取り敢えず節目の一つ。

 昨日は、医者に午前中いっぱいかかってしまい、予定していた映画が見られず、仕方なしに新宿、四谷、麹町、市ヶ谷を散歩カメラ。ライカM6+Sumicron 35mmでトライX。

 四谷ではしんみち通りは昔のままだが、昔日本テレビでアルバイトをしていたころによく行っていた、朝までやっているスナック「酔族館」なんてのはもうないし(当たり前)、しかし「あぶさん」はまだやっている。

 諸行無常というには時間がかかりすぎている、しかし、四谷駅前当たりでみるスカイスクレーパーはかなり変化している。もうそろそろ東京も進歩をやめた方がいいのでは?

2010年1月15日 (金)

岡田会通信③性的なことば

 講談社から1月20日に『性的なことば』(講談社現代新書/井上草一・斎藤光・澁谷知美・三橋順子=編/950円+税)という本が出ます。

 なんでこんな話を書いているかというと、岡田ゼミ平成三年度卒で現在宇都宮共和大学で講師をやっている松田さおりさんが、この共同執筆の本の一部を書いているからです。松田さんの担当は「水商売」「同伴」「○○夫人」の3項目。その他では「愛人」「ペッテイング」「ノーズロ」「わかめ酒」など全53項目について11名の執筆者がいます。

 実は、松田さんが寄稿している本はこれ以外にも講談社から出ています。今回紹介する『性的なことば』の正編とも位置づけられる『性の用語集』(講談社現代新書/2004年12月刊/860円+税)でも「ホステス」と「特攻」という項目を書いていて、また『性欲の文化史 2』(講談社選書メチエ/2008年11月刊/1,600円+税)という本では「第8章 ホステスたちは、何を売る?」を書いています。

 松田さんの本来の研究テーマは「女性労働研究」ですが、『パンツが見えた』や『僕たちHを勉強しています』などで有名な建築史研究家で性欲の文化史研究家の井上草一氏が主宰する、国際日本文化研究センターの性欲研究班に参加しており、その関係でホステスについて書いているのです。上に挙げた3冊とも井上草一氏との関係で書いたもの。なお、国際日本文化研究センターというのは、あの大元帥・不沈空母の中曽根康弘氏が作ったもので、その中でこんな研究をしていることは、中曽根氏も知らないだろうな。

 ともあれ、講談社から出ているこの楽しそうな3冊。このムフフなタイトルから、家に持って帰ると奥様から嫌な顔をされてしまいそうですが、その時は、「いや、これはゼミの後輩(先輩)が書いているからさあ。ホラ、この松田さおりってのがそうさ」と言い訳をしましょう。

 まあ、中身はほとんど文献学で、古今の文献・書誌等に当たって、それらの言葉がいつからどんな意味で使われていたのかを書いています。マジメな本です。しかし、ちょっと楽しめる本でもあります。

 是非、ご一読を。

 

2010年1月14日 (木)

三島由紀夫『文化防衛論』を読む

 今回は三島由紀夫の『文化防衛論』(ちくま文庫/2006年刊)について書くつもりなのだけど、その前に私の「三島体験」を書いておきたい。

 1970年11月25日の朝、といっても昼にごく近い朝、怠惰な浪人生である私は、ラジオのニュース速報で目が覚めた。当時は、まだラジオが第一メディアだったのですね。それは「三島由紀夫を名乗る男性が防衛庁に立てこもった」という第一報だった。すぐさまテレビをつけたが、テレビも同じニュースしかない。「まあ、そんな奴もいるのか」ということで、予備校へ。

 1時間ほどしてお茶の水駅前についた私は、「三島由紀夫を名乗る男性」が本当の三島由紀夫であると知る。「え、何で」というよりは「え、本当にやっちゃたのかよ」という心もちであった。だって、文学者の「知行不一致」は当たり前だったし、別にそれを責め立てる世論があった訳ではない。特に、三島のように極論を言っている人間は、逆に普段の生活ではごく普通の生活を行っている人間が多い。まあ、それは言論の世界では普通だったのだ。

 しかし、三島は「やっちゃたのだ」すごいな、というのが、そこまでの感想。

 そして夕方、予備校から帰る際に「朝日新聞」だったと思うが号外がでていて、そこに写された三島由紀夫と森田必勝の生首を見たときには、私は戦慄を覚えた。記事を読むと、三島の自刃の場合はかなり深く刺したようで、内臓が出ていたとのことである。これは、切腹の作法からすると「やりすぎ」であり、本来は表皮だけを切り、そののち斬首されるというのが本来だそうである。でも、朝日新聞の記者で実際に切腹を見た人はいないわけで、それが作法にかなうかかなわないかなんてことはどうでもよいことじゃないのか。問題は、そういうことじゃないだろ。まあ、朝日新聞はいつもこうやって問題の核心をぼかしてきた新聞なのだけれども。

 三島は、自衛隊に行って、憲法改正の必要性を説き、その為のクーデターを提起したのである。

 しかし、自衛隊がそんなものに乗る訳はない。なぜなら、自衛隊こそは「公務員」の最たるものであり、「公務員」のビューロクラシーの末端組織そのものであるし、「公務員」の「守るべき現体制」の最前列にいるものだし、ましてや「クーデター」などという「同じ国民に銃を向けることは一切しない」軍隊なのだ。

 ここの部分が三島は間違っていたのだ。自衛隊、特に陸上自衛隊は「治安部隊」であると考えていた三島は、この「治安部隊」が決起すれば、それは即「革命軍」になると考えていたのだろう。しかし、「公務員」である自衛隊は、それこそ政体が変わればその新しい政体に合わせて自らも変わる、まさに「公務員組織」にすぎない。当時の自民党政権に仕えるのは、行政として当たり前であるのと同じように、自衛隊も別に「天皇の為の軍隊」ではないし、ましてや自民党の為の軍隊でもない。いまや、民主党の為の軍隊になってしまっているし、たとえばこれが共産党政権になれば、共産党の為の軍隊になるのだ。

 たしかに、自衛隊の一部には「武士」の気持ちを持っている人もいるかもしれないが、基本的には「自衛隊は実に官僚的な公務員」であるという認識をもっていないと、根本を間違える。

 かくして、三島は決起に失敗する。しかし、それは読み込みづくなのだろう。自分が、そのような「知行一致」を、自らの美学に殉じて行なったことが大事であるので、クーデターを提起しても、それに同意する自衛隊員がいないことは分かっていたのだ。要は、自分の美学である。

 そして、最後はまさに自分の美学に沿った形で自刃を遂げる。「日本テロリズムの思想が自刃の思想と表裏一体をなしている」という三島の言うとおり、自衛隊に対する「テロ」の後に自刃を遂げた、というのは三島の美学に殉じた「文学的」行為だと言えるだろう。だとしたら、一緒に死んだ森田のことやら、怪我を負った自衛隊員のこととは別に、三島の文学的自刃に付き合った不幸というしかない

 しかし、この『文化防衛論』文庫版に際して追録された197年7月7日の「サンケイ新聞」に掲載の原稿「果しえていない約束」の最後に記された言葉「日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済大国が極東の一角に残るのであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである。」という文章を読むと、三島はもう当時の世の中に絶望したのだな、ということがよくわかる。その結果の、「自殺」かとか。

 しかし、三島の自刃から40年過ぎた今、もはや三島の想像した世界どころか、想像以上の狂気に満ちた世界になっている。もはや、自民党の一党独裁状況はなくなっているし、天皇の週刊誌天皇化は、もっと進んでテレビバラエティ天皇になってしまっている。右翼も、左翼との連携を考えているし、新左翼も革マル以外は全く元気はない。日本国民は、もはや国家の変革なんてことは頭からなくて、取り敢えず自分の生活が大丈夫ならいいや、身の回りさえOKならいいんじゃない、とBlogとTwitterに走っている。それが「自己表現」だそうだ。

 今の世界に生きていたら、三島は何というだろうか。もっとも、今生きていたら、三島も80歳を超えているので、もうボケてるか。それこそ、三島が一番嫌っていたことだろうな。

 

2010年1月13日 (水)

重箱の隅をつつく

 荒井晴彦vs.絲山秋子「出版妨害禁止等請求事件」訴訟というのを毎回傍聴している。今日はその第3回口頭弁論が行われた。

 実はこの裁判、原告である荒井晴彦氏も、被告の絲山秋子氏も私は面識があり、原告側弁護人の「いつもニコニコ」柳原敏夫弁護士も、以前仕事でいろいろお世話になっていた人だし、まあ裁判長と絲山氏側(というか、文藝春秋側)の弁護士だけは知らない人、という関係なので、とても興味を持って見ているのだ。

 ここで、この訴訟のことをよく知らない人のために解説すると、絲山秋子さんの小説「イッツ・オンリー・トーク」を原作とした映画をステューディオスリーという会社が「やわらかい生活」というタイトルの映画にした。その映画が公開され、テレビ放送もされ、DVD発売もされ、海外セールスも行われたにもかかわらず、その脚本が日本シナリオ作家協会の「'06年鑑代表シナリオ集」に収録・出版することを、絲山秋子が拒否したことから、この映画のシナリオライターである荒井晴彦氏と日本シナリオ作家協会が、映画の二次利用に関して「一般的な社会慣行並びに商習慣に反する許諾拒否は行なわない」という原作使用契約にある文言に反するダブル・スタンダード(その他の二次利用はOKなのに出版だけはNG)ではないか、ということで荒井氏は絲山氏に対して1円(!)の損害賠償を求めている、という裁判なのである。

 絲山氏としては、多分荒井氏のシナリオが気に入らなかったのでしょう。まあ、原作者として、映画シナリオが気に入らないことはよくあることです。というか、原作者が映画のシナリオを100%気に入るなんてことは、100%ないでしょう。要は、自分の創作物を自分以外のクリエイターがいじって、そのクリエイターのものとする、という行為がクリエイターである原作者が受け入れるはずはあり得ないのである。であるならば原作者自身がシナリオも作ればいいんだけど、小説と映画シナリオは作品の成り立ちから、構造も構成も何もかも違う。したがって、原作者はシナリオを脚本家に任せるわけだが、だったら、そこで原作者はこれは自分の手を離れた作品なのであるから、もう自分には責任がない、他人の作品であり、それがどういう評価を受けようが自分には関係ない、自分に関係があるのは経済的な「原作使用料」の収入と映画の結果原作が売れればいいのだ、というふうに割り切って考えればよいのだ。

 ところが、経験のない作家は、どこか映画の出来も自分の原作を評価する基準になってしまうがごとき気分になってしまい、まるでシナリオも自分の作品のようなつもりになってしまい、映画の出来に悩んでしまうのだ。なんで、他人の創作物のことでそんなに悩むの、という原作者は、結構いっぱいいるのですね。私の経験からすると。

 で、絲山氏は考えた、原作使用契約は締結してしまった(契約者は文藝春秋社とステューディオスリー)んだから、映画を作るのはしょうがない。映画の(映像の)二次利用もしょうがない、でも、自分のフィールドと同じ(と、考えたんでしょう)「活字」になるのは勘弁してほしい、映像はいつしか忘れられてしまうけれど、活字はいつまでも残るからなあ。じゃ、シナリオの出版だけは「いや」と言おう。ということなのだろう。

 しかし、相手が悪かった。何しろ相手は『赤軍-PFLP 世界戦争宣言』の製作に参加して、その後その映画の上映運動である赤バス隊の、更に言えば『争議あり』(2005年/青土社刊)の荒井晴彦氏である。「争議」が好きなんだよな。

 こりゃあ、面白くなりそうだ。ましてや相手は芥川賞作家である。「争議」にするのに恰好の相手だ。ということで、今回の訴訟になった。まあ、絲山氏が東野圭吾位並に稼いでいる作家だったらもっと面白かったんだけど、本もそんなに売れていない、あんまり稼いでいない絲山氏ではなあ。というところだけが、ちょっと残念。

 で、裁判の状況なのだが、今日は第3回口頭弁論。まあ民事訴訟なんてこんなものだけど、双方の弁護士がクチャクチャ訳のわからないことを、ボソボソ喋っていつの間にか終わる、といういつもの民事訴訟でした。

 要は、原告側弁護士が出した準備書面(訴状を補足する書面ですね)の細かいところについて、被告側弁護士があーでもないこーでもないと、ネチネチ聞いたり、するわけですね。聞かれたら仕方がないから、原告側としては答えられることは口頭で答えたり、「うおっ良く見つけたな」的な細かいミスについては、「検討してお答えします」というようなやりとりをしているうちに、今日の法廷はおしまい。本当、「重箱の隅をつつく」というのはこういいもんだな、って感じですね。

 実質、15分位なもの。

 私としては、これはどう考えても荒井氏の勝ちの裁判であります。あとは、絲山氏(文春側)の弁護士が、「どういう屁理屈」で対抗してくるのかというのが楽しみであります。

 多分、「契約当事者はステューディオスリーなのだから、荒井氏及び日本シナリオ作家協会は訴訟当事者にはなりえない」ということと、「原作者は本著作物の著作者として、本脚本の利用に関し、原告と同一の著作権及び著作者人格権を保有している」ということ位しか、反論としては考えられないのだが、どうだろうか。

 次回は、2月24日(水)13時30分から、東京地裁721法廷です。

 多分、そろそろ面白くなってくるのではないでしょうか。次回は被告側の「許否弁論」だとのことです。

 もう、重箱の隅はつつかないで・・・。

2010年1月12日 (火)

突撃娘、その後・・・

 ブログには書きませんなんて言った舌の根も乾かないうちに、書いちゃった。

 今日はネタがなかったもので・・・。明日はあります。

 ○田さん、ゴメン。

 でもやはり、最初に書いた際の自分なりの疑問が少し解けたというところでしょうか。やはり、製作関係者に聞くと分かることがあるんだな。でも、それって、評論としては「ルール違反(?)」。ま、これは評論じゃなくて、感想文だからいいか。

「しかし、この簡潔な世界観は何だろう・・・単純に過ぎて、全くウラのないストーリーは何なのだろう」と書いた答えは「今まで頭で映画を作ってきたけど、自分が(空手で)健康になって、身体で作ることにした」と押井が言っていたそうなんで、「そうなのか」と思ってしまいそうだけど、だったら、「頭」で作った作品と「体」で作った作品を「小説」と「自刃」というやり方で(そう、統一はされていない)ふたつに表現した三島由紀夫には勝ってないな。「頭」で作るという部分と、「身体」で作るという部分が統一されると、すごい「押井作品」が見られると思うのだけど、それは私だけの思いなのだろうか。まあ、ファンならではの勝手な言い草なのだけど。

 三島については、今「文化防衛論」を読んでるので、その後書きます。できれば、三島と押井の関係性について書ければいいのだけどね。無理かな。

 もうひとつ、「無理やり長くした、という感じのお話である」という部分。別に、短編、中編という考えで押井は「アサルトガールズ」を作った訳ではないそうだ。もともと、長編作品ということで作ったのだが、長編というには尺が足らなかった、だから延ばした箇所があるということだそうです。でも、「ここは延ばしたな」と私が考えた場所ではないそうだ。

 うーんどこだろう、もう一度、「アサルトガールズ」を観なければ。

 ありがとう黒○さん。それと、あと3作品位は「身体」で作る作品を作ってね、って押井に言ってください。それも、もう少し複線的なストーリーでね。

 

2010年1月11日 (月)

散歩カメラ日誌1

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(C)tsunoken

 昨日に続き玉川上水を散歩カメラ。EPSON RD1sとElmarit 28mm。

 今日は、西武多摩湖線の一橋学園から拝島線の玉川上水まで。これで、玉川上水は羽村取水堰から久我山まで踏破したことになる。といっても、羽村から玉川上水の手前までと、上水本町から三鷹・吉祥寺までは自転車ですが。

 さすがに、今日歩いたあたりは武蔵野という感じがして雑木林もチラホラ。もっとも、ほとんどは保護樹林に指定されているために残っているんですがね。

 面白いのは、玉川上水に並行して流れている水路の側に玄関がある家があり、その玄関用に橋がかかっているのだ。つまり、橋の先には道がなく、家の門やら玄関があるわけです。なかなか、優雅な感じがしてよい。

2010年1月10日 (日)

これで、いーのだ

「怒る西行」(監督:沖島勲/2009年作品/ポレポレ東中野)

 沖島勲と言えば、日大芸術学部時代に足立正生と組んで『椀』『鎖陰』を製作し、若松プロダクションから「ニュー・ジャック&ヴェティ」でデビューした、伝説のような人だった。

 それが、ある日テレビで『まんが日本昔ばなし』を見た時、その脚本クレジットに沖島勲の名前を発見した際の驚きは一様のものではなかった。あの沖島勲が何で? それも、何で「日本昔ばなし」なの? という思いに駆られたものであった。まあ、多分生活のためだろうな・・・と。しかし、その後もずっと『日本昔ばなし』の仕事はやっていて、ほとんどメインライターの立場でやっていたのではないだろうか。今回、この作品を見て、何かその理由も見つかったような気がする。

 何しろ、予告編を見ていると、まず放射5号線道路(いわゆる東八道路というやつですね)の計画が玉川上水を壊してしまうという話があって、作品タイトルが『怒る西行』である。どう考えても、これは告発映画、西行の詩に合わせて何かをメッセージする映画かな、と思ってしまうに事足りる情報である。

 しかし、実際に映画を見てみると、タイトルがちょっと違う。つまり『これで、いーのかしら(井の頭) 怒る西行』である。なんか、気になるオヤジギャグだなあ。

 で、観てみるとかなり、今に言う脱力系の作品である。要は、世田谷区の久我山から井の頭公園までの、普段の沖島の玉川上水の散歩コースである。「散歩映画」である。そこを歩きながらブラマンクやら谷内六郎、村上春樹、横尾忠則、つげ義春、ボッティチェリ、若桑みどりなどについて蘊蓄を傾けながら、西行法師に辿り着く。

 撮影時間5時間、スタッフ・キャストはすべて映画美学校の生徒たち。多分、製作費は数万円? という、「散歩映画」が出来上がる。

 最近、『ぶらり途中下車』『ちい散歩』などのテレビでも「散歩番組」があるが、しかし、それらの番組はやはりお店紹介だとか、散歩の途中で出会った人々に関する情報だとか、いろいろのメッセージが込められている。テレビ番組としては、当然それらのメッセージがなければ番組として成立しないのだから、仕方がない。まあ、テレビ・スタッフにはいまだにスポンサーの要請にこたえるためには、何かしなけりゃいかん、という強迫観念があるからね。ところが、この『怒る西行』にはそうしたメッセージは一切ない。放射5号線も、ただ単なる玉川上水の部品の一つにすぎない。勿論、放射5号線が出来ちゃ困るということはあるのだろうけど、それは映画の中心部分ではない。放射5号線も所詮「諸行無常」のひとつなのである。

 沖島はこの映画の試写会を行う際の試写状に「私が玉川上水添いに井の頭公園に至るまでの散歩道を色々解説しながら歩いていく、ただ、ただ、それだけの映画です」と書いたそうだ。まさに、本当にその通りの映画である。それ以外何にもない。まさにそんな映画をよう作るよな、とうのがまず第一の感想。しかし、現代のテクノロジーはそんな映画の存在も許すようになったというのが第二の感想。

 つまり、この作品もそうだが、今はドキュメンタリーはビデオで撮影するのが普通になっている。つまり、それだけビデオ映像がフィルムに近づいてきているということなのだろうが。ハイビジョンで撮影された作品なんかは、ほとんどフィルムで撮影されたものと違わないクオリティの映像になってきている。つまり、あの一回撮影したら消せないし、現像するまでは何が映っているか分からないし、現像費用もかかって、金がかかってかかってしょうもないフィルムと違い、ビデオはこのフィルムの欠点をすべてなくしてしまう革命的な素材なのだ。ただし、映像のクオリティだけはね、という問題が現在は次第に解決されつつある。

 ということで、この作品の成立状況が見えてくる。つまり「何にもない映画は可能なのか」ということ。テーマもないし、メッセージもないし、あるのはモチーフだけである。

 でも、それで成立させてしまう沖島勲の存在って何だろう。でも、それで成立させてしまう「映像のありか」って何だろう。でも、それで成立させてしまう映画って何だろう。

 ここに至って一つの映画を思い出す。足立正生と松田政男が作った『略称 連続射殺魔』である。この映画は、1960年代末の連続射殺魔・永山則夫の見たであろう日本中から香港までの風景を撮って撮って撮りまくった映画である。そして、製作者たちが見たものは、日本全国にあまねく徹底された「風景の均質化」であった。それは、政治的に推し進められたものである。日本中どこにいっても同じ風景が繰り広げられ、同じ風景が我々を襲う。

 いまや、その当時からもっとこの均質化は推し進められて、つまり経済的に推し進められて、「均質」どころか「同化」までいってしまっている。日本全国、どこに行っても「同じ風景」しか見ることができない状況。しかし、そういった状況に対して違和感を覚えるのは、私のような「老齢者」だけであり、むしろ若い人たちは、そうした「均質化した風景」に、逆に安心するというのだ。多分、この映画に沖島氏と一緒に出演した石山友美あたりは、そうした若者の一人なのだろう。

 そうした、現在の状況も含めてかどうか、要は、沖島氏としての風景論に対する答えが、この映画なのかもしれない。現在の沖島勲の「風景論」。

 つまり「なにもなくても、これで、いーのかしら」という、脱力した言い方。

 映画を見たあとどうしたか? 当然、東中野から吉祥寺、久我山へと電車に乗って、玉川上水散歩カメラだ。EPSON RD1sとElmarit 28mm。最近はデジタルが多いな。

M6ふっかーつ

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Leica M6+Summicron 35mm TX (C)tsunoken

 ということで、ちょっと長い文章を書いた後なので、短めに。

 本日、12月に書いたライカM6が復活しました。言うまでもなく、ライカ・ジャパンじゃなくて、浅草のハヤタカメラでございます。

 ファインダーの距離系縦ズレ・横ズレもないどころか、視界もクリアにしていただきました。

 お値段は26,500円と、これまたライカ・ジャパンの10分の1。私ゃうれしくなってしまいましてね、早速フィルム(トライX)を詰めて浅草・上野をパシャパシャ。でも、なんかおかしいな。この明るさで、この絞りとシャッタースピードはないはずだ。と、よく見てみると、やっぱり後蓋のISO設定が100になっている。私は基本400でいつも撮っているので、その違いなのでした。

 まあ、ふた絞りの問題だから何とかなるか。

 うーん、うれしいあまり、ちゃんとカメラの設定をしないで撮った私が悪いんです。

ロスジェネはまだ甘い?

「蟹工船」ブームの仕掛け人、朝日新聞の鈴木英生氏の書いた『新左翼とロスジェネ』(集英社新書/20094月刊)という本を読んだ。自ら「ロスト・ジェネレーション世代」という鈴木氏の年齢から考えれば」、よく書いた本であるとも言えるかも知れないが、全体的には鈴木氏の持つロマンチシズムに満ちた本である。

 基本的には、戦後の新左翼文学(評論や手記、回想録、声明なども含む)、つまり新左翼の周辺に(あるいは渦中に)いた人々によって書かれた本を題材として、主に1955年、日本共産党の六全協から生まれた、いわゆる「新左翼」による運動にいた人たちを、彼らの「自分探し」の旅として位置づけ、概説したものである。

 しかし、私自身、しかし学生でなく高校生として、その渦中にいた人間からすると、鈴木さん、あなたそれはあまりにも優しい見方だよ、ということになってしまうのだ。

 たとえば、2005年に成田空港管制塔占拠の元被告16人に、国と空港公団が強制執行を始めた損害賠償金額1億300万円に対し、党派のOBがインターネットでカンパを呼び掛けたところ、賠償金額を超える115214907円が集まったという話。鈴木氏はこれを「日本の正面玄関を破壊した経験に正当性を認める人が、今も反対運動を続ける人に加えて、さらに一定以上いることを明らかにした」と書く。しかし、そのすぐ後で鈴木氏は書く、「ある会社の管理職。妻が寝た後、いつものように新左翼を懐古するネットのページで、思い出に慰められようとする。そこで、カンパの呼び掛けに行き当たる。普段は飲み代に消える小遣いから5000円ほど、出して見る。彼の日常は、表面的には変わらない。だが、彼自身はそれによって、変わる。肯定的な「自己否定」を、少し遂げる」と。しかし、そんなことで「自己否定」が遂げられるんだろうか? 「ある会社の管理職」は、次の日、成田空港から海外出張に飛び出すのである。そんなのは、単に「運動に余り熱心でなかった自分を贖罪するためだけの行為」でしかない。「自己否定」するなら、自分の過去の行いを反省して、成田から飛ぶのをやめるべきなのだ。

 鈴木氏の基本的な間違いは「新左翼党派による(疑似)革命運動」と、「全共闘(ノンセクト・ラジカル)による学園闘争」を、意識的には違うと分かっていながら、どこかで混同し、等質のものと取り違えているところである。ノンセクト・ラジカルの活動は、どこか「自分探し」と言ってもよい部分があるかもしれないが、党派による運動にはそんなものはない、あるのは「党派による引き回し」と「自派に都合のよい勝手な解釈」だけである。つまり、それは日本共産党と同じ構造。「前衛党」を名乗る以上は、同じ穴の狢なのである。

 ここで、私自身の事を話しておく必要があるだろう。先述した「高校生として、その渦中にいた」という部分を、説明しなければなるまい。

 私は1951年生まれであり、高校の卒業年度は、まさに1970年。1969年の安田講堂攻防戦の際は、駿河台で石を投げていた。つまり、私自身が1960年代最後の時期にいわゆる「高校生運動」に身を投じていたのだ。

 小熊英二氏の大著「1968」(新曜社/20097月刊)の下、第12章「高校闘争」に所収はされていないが、私の卒業した高校でもバリケード封鎖なんてのもあったし、卒業式粉砕の計画もあった。しかし、バリ封を行った連中は、実はそれまで私のオルグにも言を左右して街頭闘争に参加していなかった連中で、何を思ったか突然「バリ封をやる」なんて言い出したのだ。時期尚早を言いだした私はまさに「反革命」の立場になってしまった訳だ。

結局、バリ封は実施され、その後は処分反対(まだ処分は出されていないので)闘争に忙しくなってしまったのだった。彼らが言った要求は「制服反対」って言うくだらないもので、でも、私たちが卒業して2年後には都立高校の大半は制服廃止になってしまい、まあ、実現可能な簡単なものから、要求は呑まれていくんだな、ということが分かったのである。

 本来我々が言っていたスローガンは「後期中等教育の帝国主義的再編粉砕」であり、つまりそれは、本音としては東京都教育委員長だった小尾乕雄による学校群制度廃止であった(前者と後者は全く違うんだけどね)。まあ、ついでにベトナム戦争反対とか、沖縄返還阻止とかとうのもあったが。

 こうした闘いに関して○○高校全共闘を名乗った我々は、反帝高評(社青同解放派=反帝学評の高校生組織)のオルグはあったが、基本的にはノンセクト・ラジカルの立場を守りつつ、街頭闘争をやっていたのだ。そこはノンセクト・ラジカルの楽チンな立場であるから、べ平連なんかとも共闘を組めたし、まあ、とにかく自分の好きな、行きたい闘争だけ選んで行っていたというようなものである。もちろん、高校に戻ってくれば、民青のバカとの論争もあるし、お勉強もあるし、という毎日だったのである。

 そこで分かった大事なことは「この国では、しばらくは革命は起きない」ということであり、「学生運動は(高校生も含めて)、絶対勝利しない」ということである。つまり、日本は1900年のロシアではないということだ。

 という状況の中で、「大学に入る」ということは何なのだ。つまり、それは「今の体制を受け入れる」ということに他ならないじゃないか。「大学解体」は実現していないし、「全共闘の闘い」というのももうないし。

 ということで、私は大学に行ってからは一切の学生運動には関わらずに、映画評論などの文筆活動にその場を移動したのである。

 そういう高校生時代、大学生時代を送った身にとっては、大学生になってはじめて学生運動に目覚めたという連中が信じられないのだ。

 そういう連中にとって、気分で参加できる「全共闘=ノンセクト・ラジカル」は格好のお遊びアイテムなのだったのだろう。新左翼党派は結構シバリがキツいし、所詮、下っ端は使いまわしだし、というところで、地方で(地方じゃないやつもいっぱいいるのが不満ですが)ごく牧歌的な生活を送ってきた(と信じましょう)高校生が、大学に入って初めて社会の不公正とかに気がついて、全共闘活動を初めたというのが、大学全共闘の大半のスタートじゃないかと考えている。

 はいった大学では、既に大学の側から「大学解体」は行われているし、「産学協同」なんてものは、「大学と社会とのつながり」ということで当たり前になっているのであります。

 

 最後に、東大の安田講堂攻防戦で逮捕されたのが、400人で内東大生は70人ということが本書には書かれているが、それは、解説するとこういうことになる。

 つまり、東大全共闘(まあ、とりあえずノンセクト・ラジカルとしておこう)にとっては、安田講堂なんてものはシンボルでもなんでもないわけで、というかシンボル的なものを否定するのが東大闘争(?)のはず。しかし、新左翼セクトは「闘いのシンボル」が欲しい。特に「負け試合」と分かっている場合は、というところで安田講堂を選んだのだろう。したがって、安田講堂で逮捕された連中は、ほとんどがセクトの人間であるはずだ。ということで、東大生が少ない理由にはなっていると思う。まあ、東大の頭の良いオボッチャンたちが逃げちゃった、という解釈も成り立つけどね。

 しかし、セクトにしてみれば、「最後まで安田講堂を守ったのは我がセクトだ」と言って、自己主張するんでしょう。でも、それじゃあ安田講堂の権威を守ったのと同じじゃん。

 ということ。

 私なんかは、「大地の牙」まで突き詰めていった連中とか、赤軍派に高校生や中学生で参加した人たちにシンパシーを覚えてしまうのだが、どう考えても、中核・青解・革マルにはあまりシンパシーを覚えないのだ。ブントと第4インターはちょっと違うけど・・・。

 まあ、革マルについては、その組織防衛の方法論については、なるほどなと思える部分もあるけど・・・。

 まあ、鈴木氏も、あまり新左翼を重要視しない方がよいのではないでしょうか。

 たいしたものじゃないんだよ。

2010年1月 9日 (土)

ザモスキって何処ですか?

 古典シリーズ第1回(って、そんなのあったっけ?)は「ガリヴァー旅行記」(ジョナサン・スィフト著/平井正穂訳/岩波文庫/1980年刊)である。岩波の新訳本だ。

 すでにいろいろ書かれていると思うので、いまさら書評でもないだろう。ということで、この作品の中でただ二つだけ、実在の国のことが書かれているので、そのことについて書く。一つは言うまでもないがガリヴァー氏の故国、イギリスである。スィフト自身はアイルランド生まれのイギリス人というちょっと厄介な立場だが。そしてもう一つは、わが日本である。

 と言っても、実在の国、日本については小人国だの大人国だの、空中に浮かんだ国だの、馬が支配している国だのの話はない。ごく普通の人間がいる国でしかない。不死人間の国、ラグナグからイギリスに帰る途中、オランダ経由で変えるために立ち寄っただけの国であるから、全426ページ中、たったの4ページしか与えられていない。

 で、1709年6月の初旬、「日本の南東部にある小さな港町で、ザモスキという所に上陸した」。この「ザモスキ」というのはどこだろうと調べたのだが、どうも横須賀の観音崎のことらしい。「Kannonzaki」が「Xamoschi」となったようなのだ。つまり、音でなく、文字面で地名解釈をしていたということで、これが「ガリヴァー=三浦按針」説のもとになっている。ということで、観音崎では何と「ガリヴァー祭り」というのを毎年行っているとのことだ。

 で、このザモスキを北上すると入江があり、入江の北西部にこの国の首都、江戸があるという。この辺から、日本についての記述がいい加減になってくる。江戸でガリヴァーは「皇帝陛下」に拝謁を許されることになっている。しかし、この当時、日本の首都はまだ京都であるし、「皇帝=天皇」は当然京都にいるわけだ。江戸にいるのは征夷大将軍であり、この時代は第6代徳川家宣の時代である。多分、新井白石なんかも一緒にあったのであろう。

 さらにいい加減な記述は続き、ガリヴァーに対する「踏絵」の儀式を免除するように願っているのだ。踏絵は日本人のクリスチャンを特定するための方法であり、はじめからクリスチャンであることが分かっているオランダ人には行われなかったのではないか。要は、日本にキリスト教を布教しなければ良いのだから、交易の目的で来日したオランダ人は、日本にとって不良外人ではなかった。

 まあ、その程度の日本認識が18世紀のイギリス一般市民では普通だったのだろう。というよりも、日本という国があることすら、まだ一般的ではなかったのだろう。したがって、426ページ中4ページなのだ。

 本来なら、清教徒革命の結果、乱れたイギリスの政治に対する風刺・批判が目的のこの作品。ちょうど元禄から宝永に移り、文化爛熟たる日本政治との比較は大変興味のある題材なのだけれども、それは日本側からの見方なのだろう。そこまで日本について詳しく書いても、イギリス一般市民は読んではくれないということなのかもしれない。

 まあ、スィフト氏は取材もしてないしね。

2010年1月 7日 (木)

木村伊兵衛とアンリ・カルチエ=ブレッソン 再考

 ええ、行ってきましたよ。東京都写真美術館でやっている「木村伊兵衛とアンリ・カルチエ=ブレッソン」展のイベントで東京写美の金子隆一氏と田中長徳氏(以下、チョウトク氏と書きます)のトークショウです。

 トークショウを見る為にドキュメンタリー「アンリ・カルチエ=ブレッソン 瞬間の記憶」を観なけりゃけないんだけど、もうすでに観てしまったし、DVDも持っているんだよね。でも、まあいいか、ということで何度目かの映画を観た。

 で、チョウトク氏のトークである。まあ、とにかく、多分、日本ではライカについて一番語れるのはチョウトク氏だろうし、「らいか」についても語れるのもチョウトク氏ということで楽しみである。が、まあ、お話としては都写美でのお話ということもあるのかもしれないが、ちょっと過激ではない。もっと過激な書き方を書物ではやっているチョウトク氏なので、期待したのだが、意外と過激な発言はなかったです。もっとも、チョウトク氏はそんなに過激な人ではないのかも知れない。本の読者の私だけが勝手にもっと過激な著者を想像していたのかな。

 で、チョウトク氏が言っていたことで、わが意を得たり、ということがあります。私の前のブログで書いた「木村伊兵衛」と「H.C=B」のコンタクトのことであります。チョウトク氏は「これを欲しい」といいました。まさに、フォトグラファーにとっては絶対に人には見せたくないもの、それがコンタクトプリントです。うーん、でも欲しいんだよね。

2010年1月 6日 (水)

小三治って、知ってますか?

 落語は好きである。しかし、最近寄席にも行ってないなあ。あの寄席のライブ感っていいんですね。たとえば有名になる前の三球・照代の漫才「地下鉄漫才」を、浅草演芸場で見たときは、本当になんてこんなに面白い漫才はないだろうという思いで見ていたものです。その後、テレビで売れっ子になって同じ「地下鉄漫才」をやっても、さほどは面白くなかった。やっぱり、寄席はライブだよ。ジャズと同じね。

 というところに、ポレポレ東中野で「小三治」(康宇政監督/2009年作品)というドキュメンタリーをやっているではないか。この映画の存在を知らなかった。恥。

 ということで早速観に行った。面白かった、というわけにはいかない。基本的には、好きな小三治の話なので面白いんだけど。「私の小三治」ってのがあるんですよね。

 その昔、二つ目から真打になるときに、それまでの「さん治」から「小三治」に名前を変えたんだけど、なんで「さん」から「小さん」になるんだ、と思った時がある。「さん」から変えるんだったら、「小」がつかない名前になるんだろうと思っていたのに、「小」がついちまった。ふしぎだなぁ。落語の世界ってよくわからないや。というのが、私の感想。

 つまり、小三治はさん治の時から、今の芸風は変わっていないのです。あの、面白くもなさそうな顔で、面白くもなさそうな話をしながら、実はそれが話の「まくら」になっているという、至芸。そう、小三治の至芸はこの「まくら」にあるんですよね。「まくら」だけで一席終わらせてしまったという小三治です。まあ、時間の関係でそうなってしまったんだろうし、本当はそのあと本来の話を聞かせようと思ったんだろうけど、そうもいかなくってね、というのが本音でしょう。

 その「まくら」に注目して、一本の映画を作ることも可能だったろう。「小三治 まくら」なんてね。でも、そうはしなかった。それは、康監督の小三治に対しての理解の問題だろう。この監督は、多分本当に落語を理解していないかもしれない。じゃなくて「理会」かな。

 しかし、この作品の最後に「鰍沢」を持ってきたのは大正解。小三治の「鰍沢」を見るのも初めてだが、本当にこんな「鰍沢」解釈も初めてである。これを、演じる小三治の姿もすごい。「俺は落語を演じる人間じゃないんだ」と考えながら演じるその姿。怖いくらいに孤独に浸りきる小三治。やはり、大名跡といえども、「怖い」話はあるんだな。と、妙に納得した映像です。

 まあ、小三治を知らない人が見ても、人間ドキュメンタリーとしては、面白いかなと。

2010年1月 5日 (火)

電気自動車って左ハンドルなの?

 今日は何もなしにいようかと思っていたのだが、「ガイヤの夜明け」(東京12)というテレビ番組を見て、ちょっと考えることがあったので。

 まあ、番組の趣旨は分かるので別にどうということはないです。もしあったら、少したってから書きます。

 じゃなくて、その番組で出ていたニッサンの実験車が、みな左ハンドルなんだよね。たとえば、ニュルブリンクリンクで走っているスカイラインGTRとかの写真を雑誌なんかで見ていたときは、すべて右ハンドルだったのだ。つまり、日本車はすべて右ハンドルでテストするのかと思ってたのだが、要は、世界に販売を考えている(スカGは日本国内だけ)車の場合はやはり左ハンドルですべてテストするんだ、ということ。

 当たり前といってしまえばそうなんだけど、じゃあ、右ハンドルで売っている日本国内版は左ハンドルの右ハンドル版なのかよ。本来は、左ハンドル用に作ってあるものを、右ハンドル用に作り直しているのか。だから、日本の車は高いのか。といこうことになってしまうのです。なんか変だな。

 と、まあ、欧州車しか持ったことのない私が言うことではないですが。

2010年1月 4日 (月)

浦安はまだお正月

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EPSON RD1s+Elmarit 28mm (C)tsunoken 

1月4日、わが社は1月5日からなのでまだ休業だが、金融業界は今日からスタート。というわけで兜町へ行く。

 まだ、なんとなくのんびりした顔の兜町の人々。まだ、今日はご祝儀相場の日なので、みなさん顔合わせ位の雰囲気なのかしら。

 ということなので、そのまま東西線で浦安まで。行ってみて大失敗。兜町から隅田川、荒川、中川、江戸川と四つも川を渡ってしまうと、そこはまだ完全にお正月。人出も少なく、店もまったくやっていない。

 仕方なく、茅場町まで戻って、日比谷線で北千住まで。ここも多少はお正月気分だが、なんとか店は開いている。うーん、あのソープランドもたった一軒でまだ頑張っているのだ。ここまで来てやっと普段の気分になってきた。

 ということで、約150カット撮影して帰宅。もともと、テーマを決めて撮影したわけではないので、あまり良いカットはなし。まあ、撮り初めとしてはこんなもんかな。

フリーに代わるパラダイムは?

「フリー <無料>からお金を生みだす新戦略」(クリス・アンダーソン著/2009年/NHK出版刊)

 同じ著者の「ロングテール」(2006年/早川書房刊)が話題になったのに、この「フリー」と「ロングテール」を並列販売している書店は一軒もない。単に書店が不勉強なのか、あるいは出版社が違うので、うまく連携がとれないのかわからないが、まさにこんなことが「ロングテール」を生かせない売り方なんだよな。

 閑話休題、<フリー=自由、無料>というわけだが、この本ではむしろ<無料>の方に力が入っている。デジタルのものはどんどん<タダ>になってきていて、この動きは抑えられない。ならば、そのための準備をしようという本なのだ。

 しかし、考えてみれば<貨幣経済>の始まりこそ紀元前7世紀という古いものなのだが、実際に、現在の我々がとらわれている「すべての価値観が金銭に基づくもの」という経済が出始めたのは、たかだか200年そこいらのことなのだ。19世紀にイギリスで始まった産業革命が労働者階級と金融資本を生みだした。この「自らの手で何物も作りださない」二つの階級<労働者>と<資本家>によって「すべての価値観が金銭に基づく」社会を作り出したのだ。ヨーロッパや我が国においても、20世紀前後になって、やっとこの「すべての価値観が金銭に基づく」社会ができてくる。

 江戸時代までの日本は、たとえば侍の俸給は「米」(何石何人扶持というような言い方)であらわされていたし、明治の前半までは、まだ自分の手で物を作る人たちが多くいた。たとえば、農民と職人の間での取引は「物物交換」によるものが普通であったし、農民と漁民、職人などの間ではこうした経済学では捉えられない経済状態が普通だった。一部、都会の商人のみが貨幣経済を行ってきていたのだ。しかし、産業革命によって金融資本と労働者が出現し、こうした「自らの手で何物をも作りださない」商人経済へ移行した結果、経済学で捉えられるような<完全貨幣経済>、つまり金融独裁資本主義の時代を迎える。

 つまり、長い人間の歴史の中で<完全貨幣経済>の時代は、たかだかここ150~200年のことに過ぎないといえる。したがって、その長い人間の歴史の最後に迎えた<コンピュータ経済>の時代に至って、再び<金銭>以外の方法で<ものの価値を測る>時代がやってきたというだけのことである。

 金融独裁資本の国、アメリカ人のクリス・アンダーソンにとっては、ずいぶん大きな時代の変化のように見えるけど、我々日本人からすれば、たかだか150年ほど前の時代のやり方が、また蘇ってきただけのことである。しかし、骨の髄まで金融資本に蝕まれてしまっている我が国の経済人にとっては、いまの時代相は未曾有の危機と映る。

 私は、むしろデジタルのおかげで<すべての価値観が金銭に基づく>社会が終焉し、いろいろな価値観が混在する、本来の人間の歴史が始まるのではないかと期待する。ただし、新しく出現する価値とは何なのか? その萌芽が見えているのか? を期待した私の気持ちは裏切られた。

 やはり、クリス・アンダーソンも現実の分析家、評論家にすぎないのであって、予言者ではないということなのか。でなければ「フリー=タダ」なんてことは既に我々は知っていることであるし、新しいパラダイムを提示しないかぎりはあまり読んでみて、なるほどと頷首することはない。

 まあ、現実の「デジタル=フリー=タダ」が、何故なのかを理解していない人にとっては、有意義な本ではあるけれども。

2010年1月 1日 (金)

岡田会通信②あけましておめでとうございます

中央大学経済学部岡田会会員の皆様、あけましておめでとうございます。

 政権交代に揺れた2009年も終わり、いよいよ民主党鳩山政権の本領を発揮してほしい2010年の幕開けです。

 今、クリス・アンダーソンという人の書いた「フリー」という本を読んでいます。書評はいずれ書きますが、同じ人の書いた「ロングテール」が見事にAmazonの成長を読みあてたことから考えると、この<フリー=タダ>という概念もいずれ証明されそうな気がします。

 我々が当たり前のように浸っている貨幣経済もたかだか100年程度の歴史しかないことを考えると、アンダーソンの言うような<貨幣を使わない経済>の時代が見えているような気もします。そんな<パラダイムシフト>がいつ来るのか、それに対応できるような生き方を、我々はしていかなければならないのかな。

 ともあれ、新しい年の初めに考えることは、そんなことでした。

 あ、岡田先生は相変わらずひょうひょうとして生きています。

 今まで、ワープロ専用機(東芝のルポ)を使っていたのですが、さすがに新機種も出ないし、修理もできないということなので、いよいよパソコンのワープロソフトに挑戦することになりそうです。問題は、今まで使っていたルポのデータをパソコンに移せないこと。これができればよいのでしょうが、残念です。

 どなたか、ルポのデータをパソコンに移すソフトのことなどご存知の方がいましたら、教えてください。

 年明けに、お願いの書き込みでした。

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