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2009年12月

2009年12月30日 (水)

「戦場にワルツを」にアカデミーを、と言っては?

 映画「戦場でワルツを」(原題:WALTZ WITH BASHIR/2008年/アリ・フォルマン監督)を観た。

 PTSD(戦闘ストレス反応)にかかり、戦場で殺した26頭の犬(何故、人間じゃないんだろう)に襲われる悪夢に悩まされている友人の話を聞くうちに、自分自身のその頃の記憶が抜け落ちていることに気がついた主人公(監督自身?)が、抜け落ちた記憶を取り戻そうと、1982年のイスラエルによるレバノン侵攻に一緒に従事した仲間のもとを訪ねる話だ。

 しかし、たずねてもたずねても、彼の脳にフラッシュバックするのは「照明弾が降るホテル街が見えるベイルートの海岸に全裸で漂う主人公を含めた3人の兵隊」のイメージだけであり、バシール暗殺とその結果起こったサブラ・シャティーラの虐殺のイメージは出てこない。確かにそれを目撃しているはずなのに。結局、パレスチナ難民キャンプの入り口で見た、両手を挙げてこわごわ出てくる難民たちの姿から、彼の両親がアウシュヴィッツにいた頃の、「生まれる前の記憶」に辿り着く。

 ユダヤ→アウシュヴィッツ→イスラエル→パレスチナと巡る旅の中で、加害者でありながら被害者だった、被害者でありながら加害者でもある、という現在のイスラエルの状況が見えてくる。単なる(と言ってしまうには余りにも奥が深いが)「宗教対立」ばかりでない、中東の現実が見えてくるのだ。

 アリ・フォルマンは、別にその問題について答えを出しているわけではない。しかし、永久に終わらないとも思える中東問題について、「ユダヤの立場でもない、アラブの立場でもない」ところからの問題点、つまり「心の問題としての戦争」ということを指示している。

 もうひとつ、この映画がアニメーションという方法によって作られているということがある。まあ、ドキュメンタリーとして作った場合、あまりにもありきたりの作品になってしまう恐れがあるし、実写劇映画として作るとなると、製作費がかかりすぎる。そこで、一番この主題を扱うのに相応しい方法として、アニメーションを取り入れたのだろう。面白いのは、あたかもロトスコーピングで作ったようなインタビュー部分と、一部3Dも取り入れた「お話」部分のかなり飛躍したアニメーションである。

 日本にも、「アニメンタリー」だったか、「ドキュメンテーション」だったか忘れたが、ドキュメントとアニメーションを両方取り入れた考え方があったが、この作品のようなものではなかったと思う。

 アニメーションで描かれた戦争映画ではあるけれども、アクションではない。その動きは3Dの使い方も含めて押井守的なアニメーションを想像してしまう。「言葉(台詞)の過剰」も押井的であるし、テーマを除けばまるで「イノセンス」を観ているような気になってしまいます。まあ、押井の方がよっぽど好戦的ですがね(観念的な話だけど)。

 アメリカ映画にも、ベトナム戦争物でPTSDを扱った作品は多くあるが、中東戦争でこうした作品は、不勉強ながらも観たことはない。基本的にはイスラエル側に立った劇映画か、アルブ側に立ったドキュメンタリーばかりだろう。

 中東戦争映画という意味でも新しい捉え方であるし、アニメーションという観点から見ても、なかなか面白い見かたができる作品である。

 アカデミー外国語映画賞を「おくりびと」と争い負けた「戦場でワルツを」だが、まあ、ノミネートするところまでがアメリカ映画アカデミーの「良識」なのかもしれない。

 なにせ、「赤狩り」に対する反省もないし、ユダヤ人が資本を支配し、イスラエル批判を許さないアメリカ映画アカデミーだからね。

2009年12月29日 (火)

カツマーvs.カヤマーだって?

 香山リカの「しがみつかない生き方 「ふつうの幸せ」を手に入れる10のルール」(幻冬舎新書/2009年7月刊10月第12刷)を読んだ。

「第10章<勝間和代>を目指さない」というタイトルに興味を持って読んだのだが、要は「第1章 恋愛にすべてを捧げない」に始まった、「○○しない」という各章タイトルの最後に勝間和代が出てくるだけで、別に勝間批判を展開しているわけではない。勝間和代の成功モデルにケチをつけているわけではなくて、勝間和代的な成功にあずかれない人もいることにも注目すべきだし、本当はそんな人の方が多いんだ、ということを言っているにすぎない。

 勝間自身が努力していることは認めるが、同じ努力をしても成功するかどうかは、その人の「運」みたいなものだし、勝間本を読んでその気になっても、そのままうまくいくとは限らない。そんなことは当たり前の話だし、言われなくたって分かっている話。

 むしろ、今のような時代に勝間本が売れていることの不思議さを感じる。勝間の場合の成功例として本を書くのはよくわかるが、それを読者におしつけてもうまくいくわけはない。むしろ、「私も勝間さんみたいに」と考えても、失敗することの方が今の時代は多いのである。「私はこうして成功した」と書いたからといって、それは悪くはないが、同じことを他人にすすめるのはどうしたものか。まるで自己啓発本のような読まれ方をしている勝間本。それだけ、世の中には人の書いたものに影響されやすい人が多いということなのかもしれないが、結果として、勝間教の信者を増やしてどうする。勝間の真似をして失敗する、不幸な信者を増やすだけのような気がするのだ。

 まあ、人が勝間本を読んでその気になって、不幸になっていくのは勝手だが、それでいいのか? という疑問が生じてならないのだ。みんな、目を覚ませよと言いたい。

「しがみつかない生き方」については、まあ、幻冬舎新書だしな、と言っておけばよいだろう。

2009年12月26日 (土)

突撃娘の見る夢は

 押井守の新作「アサルトガールズ」を観てきた。「アヴァロン」から8年目の実写長編作品である。もっとも、押井にとっては「すべての映画はアニメになる」のだから、実写だアニメだという分け方はあまり意味のあるものではない。

 とはいうものの「アヴァロン」から、という言い方は、「アヴァロン」で描いた世界を更に推し進め、<アヴァロン(f)>という仮想空間で行われるスナクジラ狩りというゲームに参加する人間が主役であるという設定は、やはり「アヴァロン」的な世界を描いているということで説明がつく。ただし、「アヴァロン」との決定的な違いは、「アヴァロン」の主人公は、ゲームの世界と実際の世界を行き来して、現金に換えたゲームポイントで買い物をし、犬(バセットハウンド=ガブリエル)に食事をさせたりするのに対し、「アサルトガールズ」では完全にゲームの中だけの世界で完結している点である。勿論、この主人公たちにも、「ニートの引きこもり」だとか「二児の母で夫がジャンキー」だとか実態の生活があることは彼らの台詞で表現されているが、画面にはその実態の生活は出てこない。つまり、それだけ世界は進化して、いちいち実態の生活を見せなくても状況は理解される程度に、映画の周辺が動いてきているということを言いたいのだろうか。

 しかし、この簡潔な世界観は何だろう。「天使のたまご」以降の押井作品でよく見られた衒学的な回りくどい台詞やら、ウンチクは全く見られずに、実に単純明快なストーリーが展開される。さすがに、押井自身が「今回はエンターテインメント」と言い切るだけのことはある。しかし、単純に過ぎて、全くウラのないストーリーは何なのだろう。まるで、短編かせいぜい中編くらいのつもりで脚本を作ったら、後から配給会社から「こんな短いんじゃ興行を打てないから、もっと長くして」といわれたので、無理やり長くした、という感じのお話である。この辺の事情は、製作関係者に聞かないと分からない。

 当然、軍事オタクのガンマニアらしらは随所にあらわれていて、「突撃娘」というタイトルのくせして、「突撃銃」を使っているのは佐伯日菜子扮するカーネルが持っているFN FALくらいなもので、黒木メイサが演じるグレイは以前「KILLERS」で出てきたRAI モデル500というとにかくバカでかい「狙撃銃」だし、唯一の男の出演者藤木義勝扮するイェーガーに至っては巨大な「戦車砲」を持って(!)歩いている。もう一人の突撃娘、菊地凛子の堕天使ルシファは当然黒魔術を武器にしていて、全然「突撃娘」じゃないですね。ま、もっとも押井風の銃器へのこだわり方をもってすれば、こうした武器選択はありうるのだが、ルシファ以外はね。

 それと、ガブリエルが亡くなったからなのか、今回の犬はバセットハウンドではなく、柴犬です。まだ、立ち直ってないのかな。

2009年12月23日 (水)

「そこが変だよ自衛隊!」PART1,PART2イッキ読み

「そこが変だよ自衛隊!」とそのPART2(大宮ひろ志著/光人社刊)をイッキ読みした。最初のが2001年10月刊、PART2が2002年12月刊なので、よほど最初の本の反響がよかったんでしょうね。いや、実際面白くて、2冊イッキ読みしてしまったのである。

 書いてあることは、いかにもありそうな自衛隊の裏話。著者の大宮氏は元自衛官(陸士長)なのだから、すべて実話だろう。ミリタリーオタクを自称する大宮氏ならではの、詳しい兵器に関する記述やら、ある意味、しごく当然と言える新人教育に関する考え方やら、自衛隊という組織の大きな問題点をついている。

 世界にも珍しい、「戦争をしないことを前提にした軍隊」である日本国自衛隊の話である。日本国内で最も大きな、そして最も官僚的で、最も「建前」重視の、役所である自衛隊の話である。我々は自衛隊というと軍隊というイメージを持ってしまうが、しかし、その実態は軍隊であるというよりも、役所であるというものに近い。つまり、「軍隊=相手を殺して自分は生き残る」という為の組織というよりは、「如何にして予算を使い切り、波風を立てずに過ごすか」「如何にして建前を通し本音を断つか」という組織なのだ。まあ、本音を言ってしまえば、「自衛隊なんてやめれば」ってことになってしまうしね。

 つまり、そういう観点に立って見れば、「どう考えても戦争で使えない武器を使うのか」「戦争になってしまえば使えない作戦をどうして変えないのか」「こんな新兵でいいんですか」といった疑問もすべて払拭。すべては日本式「政=軍=産」の三位一体の為なのだ。その為に、世界でもトップクラスの国防費を使い、でも世界のどことも交流を持たない(アメリカとはありますがね)、装備にかける費用は大きいんだけど、でも戦争をやったらまず最初にダメになりそうな軍隊が自衛隊なのであります。

 まあ、こういう軍隊を持っている限りは、日本から海外に戦争を仕掛けるなんてことはないだろうし、国外から攻め込まれても軍備で対抗なんてことにはまずならないだろうから安心なのだけど。

 最近、田母神俊雄氏の騒動のころからか、あるいは防衛庁が防衛省になったあたりから、「自衛隊は結構強い軍隊なのだ」という論調が出てきている。え~、そんなことはあり得ないでしょう、というのが私の感覚だし、この本を読んでみると、まさにそういう感じがしてくる。

 要は、自衛隊は国のオモチャでしかない、というところなのだろう。もっとも、こうした不景気になると、入隊希望者は増えるだろう。

 まあ、こんな自衛隊でもって国外に侵略することを考える政治家が出ないことを願いますがね。ふたつの意味で。

2009年12月21日 (月)

ほびっと 戦争をとめた喫茶店

「ほびっと 戦争をとめた喫茶店 べ平連1970-1975 in イワクニ」(中川六平著/講談社/2009年10月刊)を読んだ。

「ほびっと」の存在は知っていた。しかし、どんな人がいつからいつまでやっていて、内情はどうだったのかは、この本を読むまで知らなかった。

 著者 中川六平氏は同志社大学の学生で京都ベ平連のメンバーだった当時、岩国に反戦喫茶店を作る話が出て、なんとなく流れでそのマスターになってしまう。実際に「ほびっと」がオープンしたのは1972年2月、ベトナム戦争も末期になってからだった。1973年1月にはベトナム和平協定が締結して「ベトナム戦争」は終結。しかし、その後も戦火はカンボジアやラオスに拡がっていく。

「ベ平連」の運動は、当然このベトナム戦争終結をもって下火になっていき、次第に活動を停止させてしまい、その後、各自が独自の問題を求めて移っていったり、「普通の」生活にもどっていたりした。私自身について言えば、高校生のときにベ平連とは一緒に活動をしていたが、1970年に高校を卒業して、一浪し、1971年から大学生になった。反戦運動としては高校生でやりつくした感があり、大学時は映画評論などの文筆で政治活動の代償をしつつ、行動的にはノンポリを通していたわけだ。

 でも、その後もこうした活動を行っていた人がいたんだなあ、という感想をもつ。

 中川氏は1973年9月に大学に戻って、その後をつぐ人によって営業は続けられ、1975年11月に閉店するまで、3年9ヶ月にわたって活動を続けたのである。多分、当初は米兵と日本国民の接点になると思われ、また、反戦活動の費用も少しは稼げるかもしれない、というイメージではじめたのだろう(後者は私の想像)。しかし、海兵隊司令による立ち入り禁止措置もあり、毎月の営業は赤字つづき。

 この辺やら、ベトナム戦争の終結という最大の出来事が、「ほびっと」閉鎖のきっかけになったのだろう。まあ、もともと「運動」として始めた喫茶店の経営であるから、運動の退潮とともにその存在価値も薄れてくるものなのだ。

 実際、ベトナム戦後まで営業を続けていたことも驚きだ。

 一度、行っておきたかった。

2009年12月20日 (日)

王子の狐

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EPSON RD1s+Summcron 35mm (C)tsunoken

昔(といっても3才頃までの大昔)住んでいた上中里の公務員住宅のあったあたりから王子へ撮影歩き。

 まだ田端の操車場が蒸気機関車ばっかりだった頃、毎日、窓から出入りする機関車を見ていた記憶がうっすらとある。東北線の操車場なので、冬になると雪がついている機関車があったり。

 今では田端操車場も新幹線ばかりになってしまい、昔日の感というところ。

 で、以前から気になっていた落語「王子の狐」で出てくる料理屋「扇屋」の場所が、今日やっとわかった。王子神社のそばだとは思っていたが、あんなに近いとは思わなかった。扇屋ビルというものになっていて、ゲームセンターやらインターネットカフェなどがあるので気がつかなかったのだ。卵屋さんはそのビルのほんの一角に屋台みたいなのがあって、そこで卵焼きを買うことができた。

 感激・・・でもないか。

2009年12月18日 (金)

今ウェブは退化中ですが、何か?(講談社/12月刊)

 中川淳一郎氏の「ウェブはバカと暇人のもの」(光文社新書/2009年6月刊)に次ぐ本である。

 前著ほど(一部の人には)刺激的なタイトルではないが、この「~、何が?」という言い方自体が、誰かわからない相手に喧嘩を売るための、タイトルづけなのだ。

 とはいうものの、「ウェブはバカと暇人のもの」ほどには、ウェブ漬けになっている人間に喧嘩を売っているわけではない。というか、「ウェブはバカと暇人のもの」で言っていたことを後付けして、実例をあげているのである。むしろ、(私にとって)良かったのは、Twitterに関する記載だ。中川氏にとってはTwitterなんてのは、無駄に時間を使うだけのツールにしぎない、ということだ、

 確かにTwitterのやり方を見ていると、なんか「ずっとこのメディアに付き合っていなければいけないんじゃないか」。要は、永久チャット状態になってしまうんじゃないか、という恐れをこのメディアを見たときにおもった。そんな暇はないし(高齢者サラリーマンなので結構暇なのではあるけれどそこまで暇じゃない)、そこまでして追いかけるネタもあるわけじゃないし、まあ、自分に対するフォロワーでもいればいいんだろうけど、まあ、そこまでの人間じゃないし、というところである。

 まあ、Twitterは様子見だなという、前回の書き込みと同じ結論がでました。会社が、私をTwiter担当者にでもしない限りはね。

2009年12月17日 (木)

「35ミリ最前線を行く 一カメラマン戦場の旅」

 加藤健二郎氏の本「35ミリ最前線を行く 一カメラマン戦場の旅」(光人社/1997年刊)を読んだ。

 前に書いた「戦場のハローワーク」で加藤氏に興味を持って、実際に加藤氏が書いた戦争ルポルタージュを読んでみたくなったのである。AMAZONで最初は1ヶ月位かかるような連絡があったが、幸い在庫があったせいか、かなり早く手に入った。

 で、実際に読んでみての感想だが、「丸」という軍事雑誌に連載した記事がもとになっているので、「軍事オタク」バリバリのルポを予想していたのだが、思った以上に真面目なルポである。戦場はクロアチア、中米、チェチェンなどであり、確かに戦争ルポによくある「政治的視点からの記述」は一切ない。もっぱら、従軍の記録や、軍人へのインタビューに紙面は費やされ、それらの戦場で起こったことのバックボーンにまでは触れない。

 しかし、これはこれで潔いやり方なのではないか。バックボーンの政治にまで触れることになってしまうと、もっと長期的な取材になってしまうだろう。例えば、ベトナム戦争時のルポはほとんどがそうした長期取材の結果で行われている。ベトナム以外に大きな戦場がなかったということもあるのだろうが、バックボーンまで理解するとなると、戦場だけでなくて、銃後の部分や軍人ばかりでなく政治家などにもインタビューしなければならないし、相当深く取材をしなければならないからだ。取り敢えず「戦場を見たい」という単純な動機からだけの取材では見えてこない部分なのだ。

 しかし、加藤氏は「取り敢えず戦場を見たい」派の「軍事」ジャーナリストであり、「戦争の実態・実相を追求しよう」という「政治」ジャーナリストではない。ただし、「軍事」ジャーナリストも「政治」ジャーナリストも、取り敢えず取材をするのは同じ対象だ。その意味では、底は深くないかもしれないけれど、取材したモノ・コトに忠実なジャーナリストではある。

 良いところは、そうした取材したものに、余計な「肉」をつけていないことである。付け焼刃的に余計な部分を足したところで、戦争の実態・実相から近づくことはできないだろう。だとしたら、この加藤氏のように、純粋に「軍事」だけにこだわってルポする手もありだということだろう。

 ま、「丸」だしね。

2009年12月16日 (水)

上野公園でチベット問題を考える

 上野の森美術館でやっている「聖地チベット ポタラ宮と天空の至宝」を観に行った。

 前から行きたかったんだけど、なぜか行けずにずっとすごしてしまった展覧会である。でも、今日行ったときは、前に前を通ったときのような「フリー・チベット」のような人たちはいなかった。なんでかな、という思いを胸に1,400円を払ってチベット展へ。

 展示物は、当然チベット仏教にかかわるものが多いわけで、それが、中国を通じてわが日本にも到達しているものが多い。ということで、ほとんどの仏教芸術は何となく理解できるものが多い。「父母仏立像」がいくつかあったけど、要は男女交合像なんだよな。よく見ると、お父さんのおちんちんがお母さんのお○○こに入っている像なんかもあったりして、まあ、そういうことです。まあ、宗教ってそういうところに入っていかなきゃいけないんだろうなあ。

 で、中国のチベット政策なのだけど、どうなんでしょうね。中国政府としては、チベットの独立を認めてしまうと、ほかの55民族の独立も認めなくてはいけなくなってしまう。かといって、「民族自決」を言った中国革命政府の宣言も大事にしないといけない。といいながら、チベット独立に関しては、アメリカの意向も入っているし、中国政府としては認めるわけにはいかない。当然、独立を認めないので、独立運動には抑圧的に動かざるを得ない。

 中国王朝がチベットの自立権を認めたのは、元と清という、漢民族王朝でない時期のみ、という面白い見方もある。漢民族王朝(今の共産中国も漢民族)としては、チベットだけではなく、異民族の自立は認めたくない歴史をもっているのだ。

 もう、中国としては、ひたすらチベットに漢民族を送り込んで、チベットの漢民族化をはかるしかない、ということなのかもしれない。西蔵鉄道の建設もそのためという話もあるし。

 ダライ・ラマがチベットに帰る日というのも、もうないのかな。

2009年12月13日 (日)

普天間基地が静岡に移転?

「普天間が静岡に移転」といっても、実際にある話ではありません。あくまでも私の想定。暴論。

ということで、静岡県あたりから「炎上」されそうな雰囲気ではありますが、まあ、とりあえず読んでみてください。民主党からもこんな暴論は出てないし、まあ、出ないでしょうね。

要は、いま移転問題でモメている沖縄普天間基地の解決策なのだ。

「県外移転」を公約している民主党。しかし、県外のどこに持っていったらいいのやら、グァムとかなんとか言っているが、これはグァムが拒否してしまい、ダメ。岩国という話もあったけど、これはすでに海兵隊の基地がある岩国では、要は米軍基地の数が減るわけだから、アメリカがのむわけがない。さあ、社民党はムリなことばっかり言っているだけだし。さあ、困った鳩山民主、というわけだ。

そこで、考えたのだけど、日本国中にある空港で、赤字空港はいっぱいあるわけで、それを助ける方法。つまり、一石二鳥の大解決策なのであります。

とはいうものの、沖縄からあまり離れたところでは(というか、東アジアからあまり離れたところでは)、米軍の東アジア戦略を変えなければいけないわけで、どしても東京よりは西の場所に基地をおかなければならない。もちろん、沖縄あたりが一番、東アジアに近いからいいのだけれども、沖縄には「県外移転」を言っているから、ダメ。

で、周りを見渡してみると、あるじゃないですか。「赤字空港」ですよ。と言っても、九州や四国、中国は東京と結ぶ必要があるから、赤字といっても残す必要がある。で、みるとありますね。そう「富士山静岡空港」です。地元静岡では、「こんなもの必要ない」とか「誰がこんな空港使うか」と言われた、「行政満足地元不満空港」の代名詞です。旅客利用率も今のところ(多少は)いいみたいだけど、今後、もっと良くなる見込みはない。そりゃそうだよね、1時間で東京まで行ける所で、国際空港作る必要なんかないじゃないか。おまけに、国際空港ったって行くのは「ソウル」と「香港」「台北」くらいでしょ。だったら、羽田で十分。羽田だったら、便数もいっぱいあるし。

おまけに、国内線だって、東京、大阪は新幹線があるから必要ないわけだし、せいぜい新千歳、博多便くらいが、まあ使えるけど、でもそれだって、便数のこと考えたら、羽田まで行った方がいいくらい。

ということで、富士山静岡空港のメリットって何にもないのね。で、普天間がここに移ってくるってのはどうでしょうか。

まあ、静岡県には自衛隊の基地はいっぱいあるけど、米軍基地は全然ないわけだし、東京周辺の県としては、一つぐらいは米軍基地があってもいいじゃない。米軍兵士にしたって、沖縄のド田舎に基地があるより、東京まで1時間のところに基地があったほうが嬉しいだろし。いいこどだらけなのです。

静岡県にしても、税金垂れ流し空港よりも、こうして税金が入ってくる施設がきた方がよいだろうし、空港周辺はお茶畑ばっかりだから、いくらでも付帯施設は作れるし、静岡の歓楽街も潤うだろうし、いいことばっかりじゃないですか。

まあ、フジサン・ドリーム・エアラインズ(鈴与倉庫)だけは、富士山静岡空港のために作った航空会社だから、まあ困っちゃうだろうけど、でも、今後この会社が赤字を垂れ流さないですむことを考えれば、まあOKかな、と。

どうでしょうか。普天間基地の富士山静岡空港移転の発想。ダメ、かなあ。

2009年12月11日 (金)

岡田会通信① 年賀状

中央大学経済学部岡田会会員の皆様、お久しぶりです。

11月からブログを始めました。といっても、まだURLもお知らせしていないし、これを読んでいる方もほとんどいないと思います。

取り敢えず、岡田先生の近況からお知らせします。

来年の岡田先生からの年賀状は、宛名が印刷されています。

岡田先生は、例年年賀状を300通以上出されるそうで、さすがに毎年手書きで宛名書きをするのも大変になってきたので、来年からは印刷にしたいというお話をいただいたのが、11月の半ば頃。ところが、パソコンにプリインストールされていたはずの宛名書きソフトがなくなってしまった、とのことで11/21に緊急出動。しかし、先生が用意していた宛名書きソフト「筆王」がパソコンにインストールできない。ということで、一度我が家にソフトを持ち帰って調べたところ、多分、先生のパソコンのOSのバージョンが古いのだろうという結論。ということで、たまたま我が家にあった「宛名職人」の前年版を持っていってインストールに成功し、宛名の入力方法やら、印刷方法をお教えして帰ってきました。

本日、先生に電話したところ、入力が無事終了し、現在印刷をしている最中とのことで、ホッとしているところです。

まだ若干お教えしなければいけないところがあるようですが、取り敢えず、基本はOKなので、来年の皆様に届く年賀状は、宛名が印刷になっています。

ご確認ください。

なんて事言って、自分の分の年賀状はまだまったく手をつけていない状態です。早くやらなければ。

2009年12月10日 (木)

Twitterセミナー

デジタルハリウッド大学で開かれた「Twitterビジネスセミナー 第3回 コンテンツ業界のTwitter活用法」というセミナーに参加してきた。

デジタルハリウッド大学の吉田就彦教授がポニーキャニオンに在職していた頃からの付き合いで、紹介されて興味を持ったのだ。

基本的には、Twitterとは何か、Twitterの便利さと危険性、プロモーションツールとしてのTwitter活用の実例、といった内容。ビジネスでの活用法としてはプローモーションツールしか今のところはないようで、これはインターネットが始まった頃の活用法と大差ないことである。

ただし、当時と現在の大きな違いは、当時はコンテンツはパッケージメディアで届けられるのが普通だったのに、現在はダウンロードという方法で届けられるモノが圧倒的に多くなっているということだ。実例でも話していたが、音楽は現在はほとんどがダウンロード配信されるわけなので、こうしたネット環境とは親和性が非常によいということで、例えば、Twitterで話題になっている音楽を、そのままi tunesなどで購入することが出来る、ということだ。同じような感じで、ゲームやパソコンソフトなんかも良いかも知れない。書籍なども、Amazonなんかはうまくやれるだろうけど、リアル書店は益々追い込まれることなる。

もっとも、ネットで評判にならないとこうした状況にはならないわけで、「評判になっているから買ってみようか」という客ばかりが増えて、「なんだか分からないけど、面白そうだから買ってみようか」とか「内容は分からないけど、タイトルが面白そうだから買ってみようか」という客は益々減ってくるのかなあ。書店で衝動買いするのが好きな私には良く分からないが、要は益々「売れる本」と「売れない本」の差が出てくるということだろう。

まさに「勝ち組」と「負け組」ということですね。

まあ、しばらくはTwitterは読むだけにして、ブログをやっていこう。

2009年12月 9日 (水)

「戦場のハローワーク」(講談社文庫)

戦場フォトジャーナリスト加藤健二郎氏の書いた「戦場のハローワーク」(講談社文庫12月刊)を読んだ。

ニセ物のプレスカードの作り方から、迫撃砲と戦車砲のよけ方の違い、ジャングル戦での行軍のやり方、逮捕された時の尋問の受け方などなど、戦場取材のハウツウ満載の本である。といっても、こんなノウハウ知っていても我々の生活には何の役にも立たない。ごく一部の戦場(戦争)ジャーナリストが知っていれば良いことである。

とは言うものの、考えてみればこんなハウツウ本は今までなかったんじゃないか。戦争を取材した本はいくらでもあるが、その取材のためのハウツウを解説した本は覚えがない。「軍事研究」という自衛隊関係者か軍事オタクしか読みそうもない雑誌に連載されていたそうである。そうか、戦場を見たいという軍事オタクは多いだろうし、そのなかにごく一部、戦場(戦争)ジャーナリスト志望の者もいるかも知れない。

加藤氏自身も「戦場を見たいという軍事オタク」だったわけで、その目的で東亜建設工業という建設会社に入って、でも戦場にはいけないということになって、その会社を退社し、フランス外人部隊に志願した、という経歴をもっている。眼鏡使用の為に不採用となり、やむなくジャーナリストになったそうである。

そんな軍事オタクならではの取材ノウハウも多く、確かに、氏が言うように「戦争はいけない」(でも見たい)主義のジャーナリストが見落としてしまいそうな部分も見えてくることは多いのだろう。しかし、だからといって戦争の当事者のどちらにも肩入れしない(だって、戦場が好きなだけなんだもの)のも、どういうものか。戦争の実相がそれで見えてくるものなのだろうか。戦場の実相は見えてきやすいだろうが。

とは言うものの、日本が戦場になっているわけではない以上、戦場まで行くのは「旅」が必要になる。加藤氏も「戦場に辿り着くまでにはいろいろな紆余曲折があり、旅がある」と書いているが、まさにそうした「旅の紆余曲折」も取材してしまう、氏の取材方法こそがジャーナリスト、特にフォトジャーナリストに求められているものではないだろうか。周りを見渡してみれば「取材する価値のないもの」なんてんないのだ。要はどんな問題意識をもって周りを見るかということなのだろう。

そういう意味では、「戦場のハローワーク」はジャーナリズム論として読むことも可能だ。

2009年12月 8日 (火)

太田市に行ってきた

昨日、群馬県の太田市と高崎市に行ってきた。

太田市といえば「スバル=富士重工」で有名な街である。東武伊勢崎線太田駅の駅前にはブラジル銀行もあるし、太田市のお隣の大泉町の人口の16%がブラジル人とペルー人という、純工業都市である。

駅の南には一大風俗街が出来ていて、富士重工が忙しかったときにはさぞかし人がウジャウジャいたんだろうな、という想像ができる。

現在は、ご存知のとおりの自動車不況の真っ最中なので、町には閑古鳥が鳴いている状況。ただでさえ広い道が(広い道の両側に風俗店がいっぱいある)、人が全く歩いていない状態で、まるでゴーストタウン。

という話でも書こうかと思っていたところ、カーラジオのニュースでフランスのミシュランタイヤの日本法人が日本国内での生産をやめようとして、労働組合と協議に入っているという話である。このミシュランの日本工場があるのが太田市である。

いやあ、益々不景気になってしまうなあ。

2009年12月 5日 (土)

土曜日は忙しい

土曜日は結構忙しいのである。

今日は、まず医者に行って検査と投薬。これで午前11時頃までツブれ。その後、銀行にいって、お金を下ろす。その後、11/28に「ご臨終」と書いたライカM6をハヤタカメラが面倒を見てくれるというので、浅草まで行って預ける。浅草を適当にM3で撮影しながら家に帰ってきて、家人の買い物に付き合い、その後は、ひたすら先週撮ったネガのスキャン、スキャン、スキャン、というわけで、ついいましがた(午後10時半)終わったという状況である。

家人の買い物がなければ一日中撮影だったのだが、まあ、仕方がない。

それも土曜日の過ごし方かな・・・とか。

2009年12月 4日 (金)

「ブラインド・サイド」

という小説を読んだ。

「アメフトがもたらした奇蹟」というサブタイトルがついている通り、スラム街で育った主人公が、その類まれなる体格から、ハイスクールのフットボールチームで開花し、カレッジフットボールのスターになるという、アメリカでよくある黒人スポーツ選手のサクセス・ストーリーである。描かれているのは、ミシシッピ大学から今年NFLボルティモア・レイブンズにドラフト1位指名されて入団したマイケル・オアーという実在の人物であり、小説では大学のスターになるところまでで終わっている。マイケルの養母になる人物をサンドラ・ブロックが演じて映画になり、アメリカでは11月に公開されたそうだ。映画では、NFL入りすることろまで描かれているのだろうか。

お話そのものは、アメリカでよくある話なのであまり面白くはないが、面白いのはNFLの作戦の変化によって、選手のサラリーが変わってきているというところ。つまり、近年のNFLではラン攻撃よりはパス攻撃が有効ということになってきており、ということはパスをする(右利きの)クォーターバックの背後(つまりブラインド・サイド)をラインバッカーやディフェンスエンドから守る左のオフェンスタックルの役割が重要になってきて、彼らの給料が異様に高くなってきているという話である。なるほど、テレビではクォーターバックやランニングバック、ワイドレシーバーしか映らないが、テレビには映らないオフェンスタックルなのね、ということである。

たぶん、作者もごく当たり前のサクセスストーリーにはしたくなかったので、こうしたNFLの作戦面の変化に注目して、描いたのであろう。しかし、映画になるのはそうした裏話ではなく、マイケル・オアーのストーリーなのだから、どんなもんだろうか。うまくいくのなら、脚本の勝利だろうし、まあ、あまり映画には期待しないでおこう。

2009年12月 1日 (火)

木村伊兵衛とアンリ・カルチェ=ブレッソン展

観てきました。

しかし「木村伊兵衛とアンリ・カルチェ=ブレッソン」って、すごいタイトルだよね。だって、この二人の間には、ほぼ同じ時期に写真家をやっていた、っていうだけの関係で、二人の写真思想には何の共通するものはないし、共同して仕事をしたということもないわけで、唯一の共同作業といえば、写真展のオープニングに飾られていた「木村伊兵衛が写したアンリ・カルチェ=ブレッソン」と「アンリ・カルチェ=ブレッソン写した木村伊兵衛」という2枚の写真だけである。その時、二人は両方ともライカ(M3?)を使っていた、というのが二人の共通点なわけである。

したがって、写真展の構成も、まず最初に木村伊兵衛の写真がズラッとならんでいて、次にブレッソンの写真がズラッとならんでいて、という構成にならざるをえない。

しかし、その最後に何と「コンタクトシート」がならんでいるコーナーがある。これは、写真家にとっては結構ツラい展示であろう。というよりも、両名健在であれば許諾しなかったんじゃないかな。発表した写真は問題ないけど、未発表の、それも失敗やら何やらなんでも写っているコンタクトは、写真家にとっては絶対に人には見せたくないものではないかな。写真(写真家)を研究している者にとっては重要なものかもしれないけれど、作家(写真家)にとっては、その草稿を見られるような恥ずかしさがあるはずだ。

ま、もっとも先に書いた「木村が撮ったブレッソン」と「ブレッソンが撮った木村」も、「小説を書いている作家の写真」みたいなもので、作品の読者にとってはどうでもよいものなのかもしれない。が、作家のファンにとっては「見たい」ものなんだよね。でも、それは作家自身の姿なのだから、草稿やら書き損じを見られるのとは違う。作品を研究する者にとっては重要なのかもしれないが、それを一般に公開するのはどうかなという気がする。

もちろん、私自身も二人のコンタクトを見て「なるほどね」と感じる部分もあったわけで、コンタクトを公開する意味もなかったわけではないが、やはり「一般に公開するものじゃない」ってのが基本じゃないだろうか。基本的には、後を追う写真家は「どうやってこの写真家はこの写真を撮ったのだろう」ということを、悩みながら、考えながら、同じ失敗を繰り返しながら、撮っていくものなのだ。

で、話は変わって、先の「木村伊兵衛が写したアンリ・カルチェ=ブレッソン」だが、さすがに「粋じゃないですか」ってなもんだね。コートを着て、ちっちゃなバッグを肩にかけて、手元にライカというのがいいんだよね。

その逆「アンリ・カルチェ=ブレッソンが写した木村伊兵衛」の方は、残念ながら「あまり粋じゃない。」木村氏の一番粋な写真は、国内で誰が写したかわからないが、「もうちょっと黒いコートを着て、ソフト帽をかぶって、ライカ(たぶんM5)を抱えた木村伊兵衛氏」の写真であります。

そこで気がついた、両方に共通するのは「コートを着て、眼鏡をかけている」ということなのだ。そうか、「コート」と「眼鏡」ね。

私のカメラスタイルにしよう。

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