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自転車フォトグラファー 砂田弓弦

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フォト

2019年5月27日 (月)

久々の「85mmで街撮りスナップ in ...」

 基本的に85mmというレンズサイズはポートレイト用のレンズで「街撮りスナップ」には向いていないレンズだとされている。

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 スナップ写真っていうのが、基本的に特別に映し出す画面の中に焦点を求めないという考え方なら、その通りになる。一方、望遠レンズが、その短い合焦域ゆえに写真の中から何か主題を浮き上がらせるためのレンズであるということなら、やはりそれはスナップ写真にはあわないレンズだということになる。

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 しかし、街撮りスナップだって、何らかの主題を浮き上がらせたいと考えたり、(実はそういうことのほうが多いんだが)その写真に何か意味のある主題が如何にもあるようにみせるためには、やはり望遠レンズは欠かせないレンズでもある。

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 とは言っても、こんなスポーツ写真になってしまうと、望遠レンズが当たり前の世界になってしまうので、これで85mm? ってなってしまう。う~ん、まあ、確かにこの程度の望遠レンズでは望遠レンズを使う意味はない。

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 ということで、街撮りに戻ってしまうんだけれども……。

 なんでこんな「作例写真」みたいな写真になってしまうんだろう。まあ、こんな特殊なレンズでもって何かを撮ろうというのであれば、それなりに撮影のための戦略がなければならないっていうことなんだろうなあ。

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 なあんてことを、この三日間の伊勢・京都旅行からの体力回復リハビリテーションをしながら考えた。

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NIKON Df AF NIKKOR 85mm f1.8 @Sugamo & Kawasaki ©tsunoken

2019年5月26日 (日)

京急蒲田からJR蒲田まで

 昨日の続き……

 京急蒲田に来れば普通にJR蒲田駅に行くのです。

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 駒込から蒲田方面へ行くのは、田端で京浜東北線に乗り換えて蒲田まで行く、っていうのが普通の方法だ。
 品川で京浜急行に乗り換えるのは羽田空港以外の羽田方面へ行く時とか、横浜から先の金沢八景とか京急横須賀に行く時くらいだもんなあ。まあ、あとは蒲田より手前の京急各駅に行く時くらい。

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 ということなので、京急蒲田駅前まで行っちゃえば、当然、JR蒲田駅まで行って京浜東北線で家へ帰ってくるわけです。

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 まあ、特別な日ではないごく普通の日なので、これまたごく普通の町なのであります。

 蒲田は蒲田で昔の松竹蒲田撮影所なんかがあったり、どうも地下に「京急(地下鉄?)蒲蒲線」の駅があるという噂の大田区役所があったりという、まあ、それはそれで面白い町らしいんだが、そこまで蒲田に詳しい私ではないので、結局は、蒲田駅周辺の表面だけを眺めて終わるんですね。

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 で、蒲田まで行くと必ず覗くのが、ここ「カメラのウエダ」。

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 この店に行くと、必ずチェックするのが「岡谷光学のLord ¥6,800」というカメラ。

 う~ん、いまでも売れずに残っているんだなあ。
 まるで、私に買ってもらうのを待っているみたい……、なんて考えているのは、私の勝手?
 その他にも結構クラシックカメラがウィンドウに並んでいるのが、JR蒲田駅前の「カメラのウエダ」です。

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 いやあ、誰かが買うのが先か……、私が根負け(?)して買っちゃうのか……。

 どうなんでしょうねえ、ってカメラマニアの勝手な思い込みなんですけれどもね。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Kamata ©tsunoken

 

2019年5月25日 (土)

京急高架下の変貌

 京浜急行の蒲田駅が第二京浜国道(国道15号線)と立体交差となり、大森町から蒲田までが高架化されることになって、その結果、生まれた高架下のスペースの利用が本格的に始まったということなので見に行った。

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 京浜急行のリリースによれば……

『京浜急行電鉄株式会社(本社:東京都港区、社長:原田 一之、以下 京急電鉄)は、京急線大森町~梅屋敷駅間の高架下スペースに、地域の「町工場」と「クリエイター」の拠点を整備し、新旧のものづくりが融合した「ものづくり複合施設」を2019年春に開業いたします。』

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『大田区は、大規模製造を支えてきた町工場が集積し、事業所数および従業員数において都内で最大の規模を誇っております。また、近年はデザイン力や発想力を持ったクリエイターが流入し、新しいネットワークが形成されつつあるエリアでもあります。
このたびの施設は、蒲田エリアにおいて工房やシェアオフィス等クリエイターのための拠点づくりを行う株式会社アットカマタ(本社:東京都大田区、社長:茨田 禎之、以下 @カマタ)との連携により、コワーキング施設を整備し、クリエイターの拠点として活用いたします。また、地元町工場を受け入れる工場施設や、高架下で働く人々や地域住民の憩いの場となる飲食店舗等を整備します。当高架下に、技術力を有した町工場と発想力を有したクリエイターが共存する環境を創出することで“新しいものづくり”を発信する拠点づくりを行ってまいります。』

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『さらに、次世代のものづくりを実践する方や地域にお住まいの方など、誰でも参加できるオープンなイベントとして、2018年7月から「ラウンドテーブル」を開催いたします。エリアの活性化やこれからの時代に求められる“新しいものづくり”について、地域とともに自由に議論していきます。』

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 京浜急行では既に横浜の日ノ出町~黄金町間で、同じような高架下のスペースを利用した、コワーキング・スペースやら小さなお店を展開する事業を行っている。特にこの地域においては、昔の青線だった小さな飲食店なんかが多かったんだけれども、その辺のイメージを変えるための、「沿線の変貌」というものを成し遂げており、毎年「黄金町バザール」なども開催して、街に若い人たちを集めることに成功している。

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 特に、大田区という戦後の日本の高度成長を支えた町工場の歴史に、クリエイターたちが自由にモノづくりを試す場所として、この場所を運営していくということなのだろう。

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 スペースはまだまだ無尽蔵にあるようなので、この地域がもっと発展して、それこそ「令和のモノ造りの拠点」になっていくのであれば、いろいろ期待したいものだ。

 また、半年くらい経ったらまた来ようかな。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Omorimachi~Umeyashiki Ota ©tsunoken

2019年5月24日 (金)

『サラリーマンは300万円で小さな会社を買いなさい』って、ホントに300万円で買えるのかなあ

 月曜日から水曜日まで怒涛の伊勢・京都ツアーに行ってきた関係で、なんかちょっとくたびれて、昨日は余り出かけなかった。

 ということなので、今日は本を読んで一日すごした、って言ってもKindle読書ですけれどもね。

『今回、本書で行おうとしている提言は、現在はサラリーマンであるあなたでも、中小企業の社長になって経験と能力を生かして活躍しよう、会社という「箱」を所有して「資本家」(=あちら側の人間)になろう、というものにほかなりません。そして最後は、豊かな資産に恵まれた 資産家 を目指してもらいます。』

 っていう提言。なんか素敵じゃないですか。

Photo_11 『サラリーマンは300万円で小さな会社を買いなさい 人生100年時代の個人M&A入門』(三戸正和著/講談社+α新書/2018年5月1日刊)

 ただし、自ら事業を立ち上げる企業を三戸氏は勧めない。

『まったくのゼロから事業を立ち上げ成功させる起業家を、私は「 ゼロイチ起業家」と呼んでいます。そうした起業家は、「息を吸うかのように」とんでもない仕事をしています。ゼロイチ起業家は、「普通」の人間とは違う世界を生きています。新しい事業のチャンスを 嗅ぎ 分ける 嗅覚 の 鋭さも別格です。私も残念ながら、その感覚にはとうてい及びません。』

『これまでは、「あちら側の人間」になるためには起業という選択肢しかなく、それには〝ゼロイチ〟で事業をおこす必要がありました。しかし、いまや、ゼロから会社を作る必要はありません。一般の人でも、すでにある程度の仕組みが回っている会社を買うことができる、つまり、「 個人M&A」が可能な環境が整ってきているからです。
 そんな時代だからこそ、また、黒字の優良中小企業の経営者の多くが高齢化し、後継者を探している今こそ、普通の感覚を持った人でも「あちら側の人間」を目指すことができるようになるのです。』

 そうか、でもそんなに簡単に「個人M&A」なんてできるんだろうか。

『起業とは、会社を作ることではありません。事業を作ることです。会社を作ることは誰でもできます。ネットで「会社 作り方」と検索し、その通りに手続きするだけです。しかし、今すでにあるサービスや商品を自らの手で販売していくだけでも大変なのに、まして、世にないサービスや商品を創造し、市場に浸透させていくベンチャービジネスを軌道に乗せるのは、並大抵のことではありません。』

 じゃあ、どうするのか?

『 そこで、そんな「ゼロイチ起業」より、過酷な 10 年を生き残った 23%の企業の〝オーナー社長〟 になってしまいませんか、というのが私からの提案です。具体的には、あなたのこれまでの知識と経験を活かせる中小企業を見つけ、個人でM&Aをして、経営引き継ぐ……つまり、「 会社を買う」= 事業承継です。』

 うーむ、そうか。

『ベンチャー企業を志向する人の中には、大企業の仕事を「面白みがない」「成長しない」「やりがいがない」などと批判する人が結構多いのですが、少々短絡的で、視野が 狭い気がします。大企業や業界大手が中小企業と何が違うかというと、業務の進め方やシステムなどの仕組みが非常に洗練されている、という点です。』

『大企業の正社員は全員、幹部社員  大企業や大手企業の人材は中小企業の社長候補だと聞いて、「いやいや、私は企業の歯車ですよ」と思ったそこのあなた。それは少し勘違いされているかもしれません。大きな企業において、本社で総合職採用をされた方は間違いなく全員、「幹部社員」です。』

 つまり、そんな「幹部社員」であれば、本来の中小企業の経営者が持っているような経営スキルをすでに持っているっていうことなんですね。

『私たち投資ファンドが、そんな中小企業の投資先に入るときに真っ先にするのが、各業務の KPI(Key Performance Indicator=主要業績評価指標)の設定と、それを PDCA(Plan-Do-Check-Action)サイクルで回す仕組み作りです。しかし、多くはKPIどころか、PDCAという言葉すら知りません。
 それでも中小企業の社長には、大した危機感はありません。  財務諸表の見方がわからない経営者が多くいます。税理士の〝先生〟に任せっきりで、決算書もまともに読んだことがないからです。』

『BS(Balance Sheet:貸借対照表)や PL(Profit and Loss statement:損益計算書)には、企業の健康状態を診断できるさまざまな数字が書かれています。健康診断結果のシートと同じです。「財務諸表を読む」とは、そこに並んだ数字を見て企業の健康状態を理解することなのです。』

『投資ファンドを運営する私たちは、3期分の財務諸表を見れば、その会社がどのような経営状態にあるかをほぼ把握することができます。自身の会社でそれができなければ、経営者とはいえないと思うのですが、実際には、中小企業では財務諸表が読めない経営者がほとんどです。』

 そこで

『大企業で管理職をしていた人ならば、おそらく予算編成や決算で、自分たちの業界における決算数値の意味はわかっていると思います。それだけで旧態依然の中小企業の経営者より、経営スキルの面では進んでいる可能性が高いといえます。』

 ところが中小企業の実態は

『これまで中小企業は、親族内承継が9割以上でした。ですから社長も、大学を出ていったんどこか大きな企業に新卒で入り、ほんの数年の経験しかないままに家業を継ぐために戻ってきて入社し、すぐに専務になり、 10 年勤めて社長になったというようなケースが、偏見ではなく、本当に多いのです。せっかく新卒で大企業に入社しても、彼らはマネジメントを経験するまで到達せずに実家に戻っていますから、経営や管理の何たるかはよく知りません』

 ということなので

『なによりも中小企業を買うことの大きなメリットは、あなたが専門性を生かすことができ、勘所もわかる業界で、今、経営が成り立っている会社を設備も、顧客も、従業員も、仕入れ先も、取引銀行も、そのまま引き継ぐことができる点です。
 どんな企業であれ、経営上の一番の課題は「事業が継続できること」です。きちんと利益が出ているのであれば、とりあえずは現状の業績をそのまま保てばOK。そう考えれば、マネージャー経験のある人にとって決して難しい仕事ではありません。
 流れを大づかみに把握できたら、それから会社をよく見て、「よくない」「古い」と思う部分に改善の手を加えていけばいいのです。』

 なるほどね

『事業そのものは良いが、経営のやり方を間違えているために利益が出ていないような会社を比較的安価で買収する。そして、大企業では当たり前と思われることを実行し、経営のテコ入れをして黒字化させ、次のオーナーを見つけ、売却する。
 そのとき会社の価値は、5倍にも 10 倍にも跳ね上がっている可能性があります。出資した金額は、何倍にもなって返ってくるのです。』

 ということなのだ。

『大企業に勤めているあなたが、まともなマネジメントができていない中小企業を買収し、適切なマネジメントを導入すれば、それだけで経営は劇的に良くなる可能性が十分にあります。逆に、経営にテコを入れようがないぐらい優良経営の会社は、すでに会社の株式価値も高く、付加価値を生むことができないので、あまり食指が動かない会社です。
 いちばん良いのは、事業内容や技術は優れているのに、経営のやり方が悪くて若干の赤字かトントンになっている会社に、まともなマネジメント手法を導入して黒字に変えることです。』

『これからの日本社会では、「何もしないでいること」も人生を危機に 晒す一つのリスクになるのです。そうした社会環境の中で、万人に向いているわけではなくとも、「会社の購入が、サラリーマンの新しいビジネスキャリアになったり、退職後の選択肢の一つである」ことを多くの方に知っていただき、実践に移していって欲しいと願っています。』

 というのが三戸氏が本書を書いた理由らしい。

 まあ、ちょっと私なんかは既にして出遅れてしまっているが、まあ、今からでもできないわけではないかもしれない。
 いっちょう、やってみようかしら。

 問題は、300万円くらいでそんな素敵な中小企業が買えるんだろうか、ってことなんだけれども。

3_6『サラリーマンは300万円で小さな会社を買いなさい 人生100年時代の個人M&A入門』(三戸正和著/講談社+α新書/2018年5月1日刊)Amazonでのご注文、Kindle版はコチラ、紙版はコチラ

 

2019年5月23日 (木)

「伊勢市」異聞

 昨日はツアーオブジャパン第4美濃ステージが行われたんだけれども、それに近いところにいたのにもかかわらず、京都にいました。

 実は今週の20・21日と三重県の伊勢に行ってきたんだが、ちゃんとガイドブックなんかを見ないで勝手に旅行プランを作ったので、結構、失敗の連続ではあった。まあ、それはいつものことなんですけれどもね。

 どうも、基本的には近鉄宇治山田駅で降りて、その近辺で宿を取り、一日で外宮から内宮へ巡るというのが、本来の伊勢神宮参りの方法らしいんだが、「とりあえずは外宮でしょ」ってなもんで、一日目は外宮泊りということで、宇治山田ではなく、一つ前の伊勢市駅泊りにして、内宮は翌日というプランをたてたのでありました。

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 伊勢市駅の前といえば、取り敢えず「伊勢駅前商店街」でしょう。本当に駅前にある、商店街っていうよりは、飲み屋街なんですね。

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 もう、なんかおあつらえ向きの飲み屋街なんですねえ。いいのかなあ、こんな予想通りの展開で。まんま、田舎の駅前飲み屋街だぜ。
 全然関係ないけど、岩手の遠野駅前にもあったなあ……。こんな感じの闌れた飲み屋街。

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 勿論、当然昼間に行ってもやってはいません。

 で、やむなく外宮の表参道を歩いてみたんだが……、こんな寂しい、闌れているばかりの店ばかり……、っていうのは嘘で、まあ、普通に営業している店も沢山あります。

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 まあ、でも駅前の商店街の闌れっぷりを見ちゃうと、なんか街全体が闌れているっていう感じを持っちゃうんですね。

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 まあ、外宮っていうもの自体が、内宮に比べて「外の宮」ですから闌れていても当たり前なんだけれども、やっぱり泊まるところ間違えちゃったのかもしれないなあ。

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 宇治山田駅前から外宮を経て内宮に至るバス路線があるんですね。う~ん、よく考えてみればそれが一番のお参り方法なんだから、そういうバス路線があるはずなんですねえ。それをちゃんと調べていればねえ……。

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 実は、この1日目の外宮、2日目の内宮参りの両方とも大雨のなかのお参りだったんだけれども、その後に二見浦に行って見ればもう快晴、ってなんのことよ。

 まあ、カトリックの高校でありながら伊勢神宮に詣でるっていう訳の分からない修学旅行をする学校にいた妻と、基本的に宗教心の全くない罰当たりの私の夫婦なんだから、そんな二人がロクな宗教関連旅行になんかは行けるはずも無い、っていうのが当たり前だったのか。

 それもそうだな。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Ise ©tsunoken

2019年5月22日 (水)

横浜ブルーラインを往く:センター北駅から南駅へ②

 昨日の続き、大塚・歳勝土遺跡公園を降りて、「都筑まもる」君が見守る交差点を過ぎて、早渕川を渡った対岸にあるのが、「茅ケ崎城址公園」であります。

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 平山城といってもせいぜい標高は数十メートル程度の低い山城である。新横浜駅のそばにある小机城の支城だったっていうんだから、小机城の小ささから考えても、その規模の小ささは理解できる。

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 ところで、この場所の住所は横浜市都筑区茅ケ崎っていうんだけれども、なんで横浜で「茅ケ崎」? っていう疑問は出ますよね。

『由来は北条氏が建てた茅ヶ崎城からとったといわれている。』って、またまたWikipediaのお世話になってしまっているんだが、これで「何で茅ケ崎?」っていう疑問の答えにはならない。「湘南の茅ヶ崎」と「横浜の茅ケ崎」との間に何かの関係はあるんだろうけれども、その関係はよくわからない。

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 早渕川の北(左側)が大塚・歳勝土遺跡公園がある丘、南(右側)が茅ケ崎城。

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 西・東・北とあって、本郭(本丸)があった場所なんだけれども、それほど広い場所ではないので「なるほど小机城の支城」なんだなあというのが良く分かる。

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 大塚・歳勝土遺跡公園などとは違って、殆ど人のいない茅ケ崎城址ではありました。

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EPSON R-D1s VOIGHTLANDER ULTRA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Tsuduki Yokohama ©tsunoken

 

2019年5月21日 (火)

横浜ブルーラインを往く:センター北駅から南駅へ①弥生時代のニュータウン

 まあ、そんな訳で伊勢に来ている。別に「令和元年」とは何の関係もない。
 取り敢えず、昨日は下宮を参詣。今日は内宮を参詣して、二見浦、シーパラダイスと行って、京都に行く予定。
 さあ、どうなりますことやら。

 横浜市営地下鉄ブルーラインとグリーンライン双方の共通した駅がセンター北駅と南駅である。
 まあ、それだけ横浜市が港北ニュータウンの開発に力を入れたということなんだけれども、そのニュータウン開発の時に発掘されたのが大塚・歳勝土(おおつか・さいかちど)遺跡である。

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 センター北駅を出て「歴博通り」という広い道を渡ると、目の前に迫るの小高い丘を登っていくと「大塚・歳勝土遺跡公園」というのがある。

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 丘のてっぺんに行くとこんな風景が広がって、弥生時代の村の風景が広がってくる。

『大塚遺跡は高台に作られた弥生時代中期の環濠集落であることが確認された。歳勝土遺跡では、大塚遺跡の環濠とその周囲に広がる土塁に近接した一帯から方形周溝墓群が発見されて、年代的にも同時代であることが確かめられ、環濠集落(大塚遺跡)に住んだ人びとの墓地であることが明らかになった。』(Wikipedia)

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『現在、歳勝土遺跡と大塚遺跡の東側3分の1の面積にあたる約33,000平方メートルが保存されている。大塚遺跡の中央部及び西側は開発によって高台ごと削り取られてしまい、消滅した。』(Wikipedia)

 つまり、現在残っているのは昔の3分の1の広さであり、昔の村はもっとずっと大きかったということである。

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 丘のすぐ下には早渕川という下流に行くと鶴見川と合流する川が流れていて、「川沿いの高台」という古代の村の遺跡に共通の立地ということが分かる。

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 まあ、考えてみれば大塚・歳勝土遺跡は弥生時代の港北ニュータウンだったってことですね。
 そこに作った街が「ニュータウン」って言っても、全然ニュータウンじゃないですね。人間の考え方なんて、たいして進歩していないってことなんでしょうか。

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EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm F5.6 @Tsuduki Yokohama ©tsunoken

2019年5月20日 (月)

六義園はわが庭

 え~、今日からちょっとした小旅行に出かけるので、多分、ここ数日間のブログネタは「日々更新」じゃなくて、貯めてたネタでございます。

 まあ、そんなこともありますね。って、自分で楽な方法を提示してどうなるねん? 

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 毎日、家を出ると目の前にあるのが六義園。ってことで、毎日定点観測的に正門の写真を撮影している。
 同じように、家から駅に行く途中にも定点観測的に撮影している場所があって、それはいずれ、取り壊されそうな木造のアパートなのである。

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 それはいいとして、ここのところほぼ毎週週末は染井門を開いている六義園なのであります。

 六義園の染井門は、山手線の駒込駅の前にあるので、何となくそちらが正門だと考えている人が多いのだが、実は染井門なんてものは昔の六義園にはなかった、というか裏木戸みたいなものが、現在の染井門の辺りにあったっていうだけなんですね。
 基本的に徳川幕府の側用人だった柳沢吉保が作った六義園なので、当然、江戸城に近い方が正門っていうわけで……、って言っても今の正門は柳沢邸の真ん中なので、そんなところには正門はなかったのであります。

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 ってことで、正門前に「染井門開門」という表示が出ている場合は、六義園の中を通って駒込駅まで行くわけです。なんせ、年間パスを持っているので入園無料なんですね。

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 歩くのは正門から染井門へまっすぐ向かう馬場の跡の道。まあ、時間の余裕っていうか、よっぽど暇なときは一周してから染井門へ出るんだが、別に六義園自体に行きたいわけではないので、普通は一番近い方法。

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 実はここが一番大切な部分「別に六義園自体に行きたいわけではない」っていうこと。

 つまり、我が家の庭を通って駒込駅まで出る、っていうのと同じ意味っていうことです。

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 えっへっへっへ。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 & COLOR SKOPAR 21mm f4 @Komagome ©tsunoken

2019年5月19日 (日)

錦糸町・江東楽天地のロープウェイ

 JR錦糸町駅前にある東京楽天地ビルは、映画会社の東宝系列の興行施設ビルだが、以前は江東楽天地と呼ばれていた。

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 江東楽天地は1937年(昭和12年)に作られた総合興行施設なんだが、いつ頃の時代か分からないけれども、ビルの中には映画館などと一緒に遊戯施設(と言っても、子供向けの景品が出るパチンコなど)なんかがあって、ビルの屋上に観覧車とか、隣のビルとの間にロープウェイなんかがあった、当時、まだ子供の私にしてみれば「小型後楽園」みたいな感じの建物なのでありました。

 なんせ、都会の真ん中にロープウェイですよ、ロープウェイ。
 今から考えてみると結構シュールな風景ではある。

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 現在は都会のビルの屋上施設では東急ストア蒲田店屋上の観覧車が有名だけれども、昔はそんなものは当たり前であって、デパートの屋上は子どもたちの遊び場であった。そのための施設としては観覧車が一番という風潮はあった。でも、ロープウェイまで備えたビルはなかったなあ。

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 それでも、都内のいくつかのデパートの屋上には観覧車があったことは記憶している。結構しっかり覚えているのは浅草松屋(現・エキミセ)かなあ。

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 まあ、昔は銀座も新宿も池袋も、とにかくデパートの屋上っていえば、基本的にビアガーデンがあって当たり前っていうもんで、夏の暑い日のサラリーマンの納涼といえばそれぐらいしかなかった時代ではある。
 商業施設ビルの屋上の使い方っていえば、そんなもんだったんだろう。ただし、現代ではそんな商業施設ビルの屋上って、もはや高層ビルになってしまって、そんな高層ビルの屋上に何かを作るっていう発想はなくなってしまったんだろうなあ。

 それこそ「昔は、昼間は子どもの遊園地。夜はサラリーマンの遊飲地」っていう感じでしょうか。

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 いやいや、まさに「昭和は遠くなりにけり」ですなあ。

 まさしく、「昭和の風景」ですね。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Kinshicho ©tsunoken

2019年5月18日 (土)

長谷川平蔵 遠山金四郎 屋敷跡

 都営地下鉄半蔵門線を菊川駅で下車して、新大橋通りに出る。
 菊川駅から1ブロックほど東に行くと、丸山歯科医院というのが1階にあるマンションの前にこんな碑がある。

 題して「長谷川平蔵 遠山金四郎 屋敷跡」???

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 遠山金四郎は実在の人物なので分かるんだが、長谷川平蔵って池波正太郎氏が作り上げたフィクションじゃないのか、なんて考えていたら、実はそうじゃなかった。

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 菊川駅まで戻って、三つ目通りの側に回ってみると、こちらにも「長谷川平蔵 遠山金四郎 屋敷跡」の碑が。ただし、こちらには墨田区教育委員会が作った碑文がある。

『長谷川平蔵・遠山金四郎住居跡
 住所 墨田区菊川三丁目十六番地二号
 長谷川平蔵宣以(のぶため)は、延享三年(一七四六)赤坂に生まれました。
 平蔵十九歳の明和元年(一七六四)、父平蔵宣雄の屋敷替えによって築地からこの本所三之橋通りの千二百三十八坪の邸に移りました。ここは屋敷地の北西端にあたります。
 長谷川家は家禄四百石の旗本でしたが、天明六年(一七八六)、かつて父もその職にあった役高千五百石の御先手弓頭(おてさきてゆみがしら)に昇進し、火付盗賊改役(ひつけとうぞくあらためやく)も兼務しました。火付盗賊改役のことは、池波正太郎の「鬼平犯科帳」等でも知られ、通例二、三年のところを、没するまでの八年間もその職にありました。
 また、特記されるべきことは、時の老中松平定信に提案し実現した石川島の「人足寄場(にんそくよせば)」です。当時の応報の惨刑を、近代的な博愛・人道主義による職場訓練をもって、社会復帰を目的とする日本刑法史上独自の制度を創始したといえることです。
 寛政七年(一七九五)病を得てこの地に没し、孫の代で屋敷替となり、替わって入居したのは遠山左衛門尉景元(さえもんのじょうかげもと)です。通称は金四郎。時代劇でおなじみの江戸町奉行です。
 遠山家も家禄六千五百三十石の旗本で、勘定奉行などを歴任し、天保十一年(一八四〇)北町奉行に就任しました。この屋敷は下屋敷として使用されました。
屋敷地の南東端にあたる所(菊川3丁目16番13号)にも住居跡碑が建っています。
 平成十九年三月 墨田区教育委員会』

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 そうでした。「鬼平犯科帳」や「剣客商売」「仕掛人シリーズ」があまりにも有名なんで、なんとなく「鬼平=長谷川平蔵」も池波正太郎氏が作り上げたフィクションかと思っていた私の早計でした。長谷川宣以(通称:平蔵)も実は実在の人物だったんですね。

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 そうか、江戸時代の旗本はもともと自分の家というのは持っていなくて、幕府から拝領した家屋敷に住んでいた。つまり、会社の寮に住むようなもんで、本人が死んじゃえば「屋敷替え」となって、今度は別の旗本が住むんですね。

 で、後からこの屋敷を拝領した遠山左衛門尉景元(通称:金四郎)は長谷川平蔵よりもずっと上の位だったので、元の長谷川屋敷は遠山家の下屋敷になったというわけなのでありました。ただし、大名が住む藩邸の下屋敷ではなかったようなので、遠山金四郎はこの家に住むことはなく、遠山家の家臣が住んだのか、あるいは遠山家の別荘みたいな感じだったのかはよく分からない。

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 う~ん、「明日のジョー」は墨田区じゃなくて、荒川区の南千住なんですけれどもねぇ。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Kikukawa ©tsunoken

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